新しい日南市になって、最初の総合文化祭が、10月1日から3日にかけて開催されました。
飫肥では豫章館のと小村寿太郎生家でお呈茶・煎茶のおもてなしと邦楽演奏会が3日に行われました。

小村生家では、今年初めて西村先生のお呈茶のサービスが行われ、待ちかねた近所の皆さんなどがおもてなしを受けていました。

こちらは『豫章館』の御数寄屋です。ここでは趣のある茶室で、野先生を中心にお茶のおもてなしをされていました。


一方こちらの豫章館内では、尺八『風の会』(佐伯蕉風社中)と筝曲『華の会』(井上秀代社中)による、「秋の邦楽演奏会」の演奏が行われ、多くの観光客の皆さんが、美しい音色に聞きほれていらしゃいました。

また、お庭では、梅田先生などによる野点によるお呈茶があり、秋空のもと多くの皆さんが立礼のお茶サービスに大満足のようでした。


飫肥では豫章館のと小村寿太郎生家でお呈茶・煎茶のおもてなしと邦楽演奏会が3日に行われました。

小村生家では、今年初めて西村先生のお呈茶のサービスが行われ、待ちかねた近所の皆さんなどがおもてなしを受けていました。

こちらは『豫章館』の御数寄屋です。ここでは趣のある茶室で、野先生を中心にお茶のおもてなしをされていました。


一方こちらの豫章館内では、尺八『風の会』(佐伯蕉風社中)と筝曲『華の会』(井上秀代社中)による、「秋の邦楽演奏会」の演奏が行われ、多くの観光客の皆さんが、美しい音色に聞きほれていらしゃいました。

また、お庭では、梅田先生などによる野点によるお呈茶があり、秋空のもと多くの皆さんが立礼のお茶サービスに大満足のようでした。


11月1日(日)〜11月30日(月)まで『小村寿太郎侯顕彰展』が国際交流センター「小村記念館」で開催されています。

今回の顕彰展は、主に小村寿太郎侯の里帰り(4回)を通して、“寿太郎と飫肥の人たちとの係わり”を解説しています。

主な展示品を紹介します。
先ず今回初めて展示する『安井息軒』の書簡です。
この書簡は、市内のある個人が所蔵されているものですが、飫肥藩出身の儒学者で振徳堂の教授として活躍した『安井息軒』が、浦賀に黒船が入港した時の模様を飫肥の安井冶部蔵に送った書簡だそうです。
なお、『小村寿太郎』は息軒の孫弟子といった関係にあります。

次に、『小村寿太郎』の紙芝居です。
これは、昭和18年に作成されたものです。ポーツマス業約講和会議後、国情を知らない国民から非難を受ける中、将来の日本の国益を考えて奮闘する寿太郎侯が描いてあります。

これは、「日露戦争写真画報」です。
日露戦争開戦直後の明治37年(1902)2月から翌38年12月まで「博文館」で発行され、写真・挿絵・評論・小説などを掲載して戦争や講和会議の内容を報道したものです。

『侯爵小村寿太郎伝』
大正12年(1926)に法学者「信夫淳平」が執筆したものでであるが、諸事情により外務省に秘蔵され発刊されなかったものだそうです。しかし、戦後の昭和28年に外務省編纂の『日本外交文書』の末刊行原稿に補ていを加え『小村外交史』として刊行されたもので、寿太郎研究の基本資料の一つとして活用されています。

最後に『山田三代功記』
これは、家老山田家の家譜書で、最近まで所在が不明であった書物で、幻の書物と言われています。中には、寿太郎が祖父などの身近な人を通して教えられ座右の銘とした『正直』・『誠の心』に通じる記事が含まれており、『正直』を旨とした藩風のルーツをたどる貴重な書物だそうです

『小村寿太郎侯』は、振徳堂を卒業後飫肥に帰郷したのはわずか四度だそうです。遠隔地にあって多忙をきわめていた寿太郎は、それでも東京の宮崎県人会に出席し、郷土の発展に心をくだいていたそうです。


人生の節目毎に帰省した寿太郎と飫肥の人々のふれあいを物語るエピソードも多いようです。
この機会に、皆さんもぜひ『小村寿太郎侯顕彰展』に来て貴重な資料等を直接ご覧下さい。
なお、見学時間は 9:00〜17:00です。

今回の顕彰展は、主に小村寿太郎侯の里帰り(4回)を通して、“寿太郎と飫肥の人たちとの係わり”を解説しています。

主な展示品を紹介します。
先ず今回初めて展示する『安井息軒』の書簡です。
この書簡は、市内のある個人が所蔵されているものですが、飫肥藩出身の儒学者で振徳堂の教授として活躍した『安井息軒』が、浦賀に黒船が入港した時の模様を飫肥の安井冶部蔵に送った書簡だそうです。
なお、『小村寿太郎』は息軒の孫弟子といった関係にあります。

次に、『小村寿太郎』の紙芝居です。
これは、昭和18年に作成されたものです。ポーツマス業約講和会議後、国情を知らない国民から非難を受ける中、将来の日本の国益を考えて奮闘する寿太郎侯が描いてあります。

これは、「日露戦争写真画報」です。
日露戦争開戦直後の明治37年(1902)2月から翌38年12月まで「博文館」で発行され、写真・挿絵・評論・小説などを掲載して戦争や講和会議の内容を報道したものです。

『侯爵小村寿太郎伝』
大正12年(1926)に法学者「信夫淳平」が執筆したものでであるが、諸事情により外務省に秘蔵され発刊されなかったものだそうです。しかし、戦後の昭和28年に外務省編纂の『日本外交文書』の末刊行原稿に補ていを加え『小村外交史』として刊行されたもので、寿太郎研究の基本資料の一つとして活用されています。

最後に『山田三代功記』
これは、家老山田家の家譜書で、最近まで所在が不明であった書物で、幻の書物と言われています。中には、寿太郎が祖父などの身近な人を通して教えられ座右の銘とした『正直』・『誠の心』に通じる記事が含まれており、『正直』を旨とした藩風のルーツをたどる貴重な書物だそうです

『小村寿太郎侯』は、振徳堂を卒業後飫肥に帰郷したのはわずか四度だそうです。遠隔地にあって多忙をきわめていた寿太郎は、それでも東京の宮崎県人会に出席し、郷土の発展に心をくだいていたそうです。


人生の節目毎に帰省した寿太郎と飫肥の人々のふれあいを物語るエピソードも多いようです。
この機会に、皆さんもぜひ『小村寿太郎侯顕彰展』に来て貴重な資料等を直接ご覧下さい。
なお、見学時間は 9:00〜17:00です。
次に、江戸時代は酒谷川の河川内にあり、大正時代以降に整備された、飫肥新町の『中町通り』を歩きながら調査しました。

まず目につくのは、飫肥では昭和の後期まで営業されていた有名な『割烹舞鶴』です。私も若い頃何度かいったことがありますが、今でもその建物の大きさから昔の賑わいがしのばれます。 続いての家屋は、もっと以前に廃業した銭湯だそうです。現在は数店の飲み屋さんがテナントしているようでした。
こちらは、すでに営業されなくなった旅館です。まだ飫肥が賑わった頃は、多くのお客さんが泊まられたことでしょう。
新町『中町通り』では、多くのお店が営業を止めるなか、頑張っている数件の飲み屋さんもあります。でも全体的に空き家が増え寂しい感じがします。

ようやく、新町の本通(国道222号)に出てきました。ここから本町商店通りまでは昭和58年から国道拡張工事が行われました。このため、江戸末期から明治初めの建物物群はほとんど取り壊されてしまい、道路巾も6Mから16Mに拡幅されました。
しかし新築することになった商店の皆さんが、デザインについては和風に統一することなどの取り決めをして、現在の風情のある商店街になったようです。

続いて、国道の次の通りで、中級・下級武士の屋敷が多かった『前鶴通り』の調査です。

ここで注目したのは、竹垣です。この辺りは平坦地で、土留めを兼ねる石垣の必要がなかったので、竹垣で体裁を保ったものと思われます。

通りの途中には、飫肥を代表する枯山水の庭園のある勝目家があります。

また、その石垣を良く見ると、飫肥城下町にだけ見られる独特の石積み『飫肥積』が見られます。
この石積みは、切石乱積の一種とのことですが、局部的に扇模様をなしています。 全体を見ると乱積ですが、特定の根石を定め、周りを囲むように数重に巻いて積み上げてあります。これは、飫肥城本丸の石垣が基になっているそうです。
いずれにしても飫肥だけしか見られない、趣のある表情豊かな石積みだそうです・・・・なるほど。

そして、最後は飫肥城大手門から続く『大手門通り』に出て、この日の再点検事前調査を終えました。

今回は、「地域景観づくり緊急支援事業」の事前調査ということしたが、次は、11月〜12月に3回のワークショップを開催することになっています。
参加者には、本日のメンバーに加え飫肥の自治会や高齢者、町づくり団体の皆さんをはじめ、専門家や宮崎大学の学生などの参加も予定されています。
飫肥の新たな魅力の発見と、今後の景観・歴史資源の保護と活用を図るためにも、協力して行きたいと思います。

まず目につくのは、飫肥では昭和の後期まで営業されていた有名な『割烹舞鶴』です。私も若い頃何度かいったことがありますが、今でもその建物の大きさから昔の賑わいがしのばれます。 続いての家屋は、もっと以前に廃業した銭湯だそうです。現在は数店の飲み屋さんがテナントしているようでした。
こちらは、すでに営業されなくなった旅館です。まだ飫肥が賑わった頃は、多くのお客さんが泊まられたことでしょう。
新町『中町通り』では、多くのお店が営業を止めるなか、頑張っている数件の飲み屋さんもあります。でも全体的に空き家が増え寂しい感じがします。

ようやく、新町の本通(国道222号)に出てきました。ここから本町商店通りまでは昭和58年から国道拡張工事が行われました。このため、江戸末期から明治初めの建物物群はほとんど取り壊されてしまい、道路巾も6Mから16Mに拡幅されました。
しかし新築することになった商店の皆さんが、デザインについては和風に統一することなどの取り決めをして、現在の風情のある商店街になったようです。

続いて、国道の次の通りで、中級・下級武士の屋敷が多かった『前鶴通り』の調査です。

ここで注目したのは、竹垣です。この辺りは平坦地で、土留めを兼ねる石垣の必要がなかったので、竹垣で体裁を保ったものと思われます。

通りの途中には、飫肥を代表する枯山水の庭園のある勝目家があります。

また、その石垣を良く見ると、飫肥城下町にだけ見られる独特の石積み『飫肥積』が見られます。
この石積みは、切石乱積の一種とのことですが、局部的に扇模様をなしています。 全体を見ると乱積ですが、特定の根石を定め、周りを囲むように数重に巻いて積み上げてあります。これは、飫肥城本丸の石垣が基になっているそうです。
いずれにしても飫肥だけしか見られない、趣のある表情豊かな石積みだそうです・・・・なるほど。

そして、最後は飫肥城大手門から続く『大手門通り』に出て、この日の再点検事前調査を終えました。

今回は、「地域景観づくり緊急支援事業」の事前調査ということしたが、次は、11月〜12月に3回のワークショップを開催することになっています。
参加者には、本日のメンバーに加え飫肥の自治会や高齢者、町づくり団体の皆さんをはじめ、専門家や宮崎大学の学生などの参加も予定されています。
飫肥の新たな魅力の発見と、今後の景観・歴史資源の保護と活用を図るためにも、協力して行きたいと思います。
市では、新しい事業で地域の景観資源(歴史文化資源)の再点検をすることになりました。
このため、飫肥城下町の町並みの『通り』や『屋敷』、『石垣』等の点検・確認等を行ないました。

先ず、全員で事業目的や内容等について説明を受け、「大手門通り」からスタートしました。

この事業の目的は、地域の文化資源等をワークショップを通じて再認識・再点検するとともに、高齢者等の記憶をマップに落とし込み、地域の歴史を再認識することで、地域への愛着を造成することだそうです。
「横馬場通り」では、斉藤家の状況をチェックしましたが、家屋等の現状を見ると、建物のあちこちに傷みが出てでおり、急な対応の必要性を感じました。

続いて、「八幡通り」を過ぎて伝建地区外の「加茂馬場通り」に行くと、昔の武家屋敷の茶の木を植えた典型的な垣根が見られます。

一方こちらは、飫肥では珍しい石垣だけでなく塀まで飫肥石で造ってある垣根。

更に『八幡通り』を下って行くと県道(『十文字通り』)と交差する角に鳥居下公民館(旧鹿児島銀行)があります。

そこから『十文字通り』の旧道を過ぎると小さな川が流れています。

この小さな川が昔の酒谷川の本流だと知ってびっくりです。
ここからは、江戸時代には無かった新町の『中町通り』です。

この後、『中町通り』から『大手門通り』までの点検・確認をして行きます
このため、飫肥城下町の町並みの『通り』や『屋敷』、『石垣』等の点検・確認等を行ないました。

先ず、全員で事業目的や内容等について説明を受け、「大手門通り」からスタートしました。

この事業の目的は、地域の文化資源等をワークショップを通じて再認識・再点検するとともに、高齢者等の記憶をマップに落とし込み、地域の歴史を再認識することで、地域への愛着を造成することだそうです。
「横馬場通り」では、斉藤家の状況をチェックしましたが、家屋等の現状を見ると、建物のあちこちに傷みが出てでおり、急な対応の必要性を感じました。

続いて、「八幡通り」を過ぎて伝建地区外の「加茂馬場通り」に行くと、昔の武家屋敷の茶の木を植えた典型的な垣根が見られます。

一方こちらは、飫肥では珍しい石垣だけでなく塀まで飫肥石で造ってある垣根。

更に『八幡通り』を下って行くと県道(『十文字通り』)と交差する角に鳥居下公民館(旧鹿児島銀行)があります。

そこから『十文字通り』の旧道を過ぎると小さな川が流れています。

この小さな川が昔の酒谷川の本流だと知ってびっくりです。
ここからは、江戸時代には無かった新町の『中町通り』です。

この後、『中町通り』から『大手門通り』までの点検・確認をして行きます
本日、インドネシア国の大学講師と公務員の皆さんが飫肥城下町の見学にお見えになりました。
見学の目的は、飫肥伝建地区の町並み保存活動と町づくりなどの調査研修です。
最初に、飫肥の藩校『振徳堂』で、飫肥の歴史についてお話を致しました。

次に『振徳堂』の建物の見学を兼ねて飫肥伝建地区の保存活動等について説明を致しました。

その後、上級武士の屋敷が並ぶ横馬場通り(通称「武家屋敷通り」)を歩きながら見学です。

大手門から城内の見学でしたが、限られた時間でしたので駆け足での見学でした。

最後に『食べあるき・町あるき』マップを持って大手門通りから商人通りまで城下町の散策をし、ギャラリー小玉さんのお店でお団子を頂いて約2時間の研修を終了いたしました。

この研修の目的は、インドネシア国の地方自治体において、官民連携による社会資本整備を推進する人材を育成するため、その研修を行う大学講師の能力向上を図ることだそうです。
具体的には、宮崎大学とインドネシアのガジャマダ大学と協力して、主に日本国内の社会資本整備のケーススタディの研修の行い、その一環として、飫肥の町並み保存活動の取り組み等について、視察研修を行ったとのことでした。

インドネシア国の皆さん! 飫肥の町づくりの見学は、いかがでしたでしょうか?
ガジャマダ大学のレクソノさんは、「飫肥城下町は、歴史的資源を地域コミュ二ティがバックアップし町おこしをしていることが、地域経済の発展に繋がっている。また、お城や町並み等は、日本人らしく細かいところまで非常に良く計画され、しっかりとつくられています。大変楽しく町並みの散策いたしました。」とのコメントを頂きました。
要は、町づくりを行うのは『地域の人の力』です。行政がいかに多くの財源を持って町づくりを手がけても、地域の皆さんが、自らの力で企画立案し事業を推進する気持ちがなければ、またその意識が育たなけば画餅に帰すことになります。
そのためには、地域の皆さんが郷土愛を持って、地域にある様々な社会資源等を見出し、活用するソフト面の充実が肝要だと思います。
日本とインドネシア国の国民性の違いもありますが、我が国で十分に研鑽され、帰国後の皆さんのご尽力をご期待いたします。
見学の目的は、飫肥伝建地区の町並み保存活動と町づくりなどの調査研修です。
最初に、飫肥の藩校『振徳堂』で、飫肥の歴史についてお話を致しました。

次に『振徳堂』の建物の見学を兼ねて飫肥伝建地区の保存活動等について説明を致しました。

その後、上級武士の屋敷が並ぶ横馬場通り(通称「武家屋敷通り」)を歩きながら見学です。

大手門から城内の見学でしたが、限られた時間でしたので駆け足での見学でした。

最後に『食べあるき・町あるき』マップを持って大手門通りから商人通りまで城下町の散策をし、ギャラリー小玉さんのお店でお団子を頂いて約2時間の研修を終了いたしました。

この研修の目的は、インドネシア国の地方自治体において、官民連携による社会資本整備を推進する人材を育成するため、その研修を行う大学講師の能力向上を図ることだそうです。
具体的には、宮崎大学とインドネシアのガジャマダ大学と協力して、主に日本国内の社会資本整備のケーススタディの研修の行い、その一環として、飫肥の町並み保存活動の取り組み等について、視察研修を行ったとのことでした。

インドネシア国の皆さん! 飫肥の町づくりの見学は、いかがでしたでしょうか?
ガジャマダ大学のレクソノさんは、「飫肥城下町は、歴史的資源を地域コミュ二ティがバックアップし町おこしをしていることが、地域経済の発展に繋がっている。また、お城や町並み等は、日本人らしく細かいところまで非常に良く計画され、しっかりとつくられています。大変楽しく町並みの散策いたしました。」とのコメントを頂きました。
要は、町づくりを行うのは『地域の人の力』です。行政がいかに多くの財源を持って町づくりを手がけても、地域の皆さんが、自らの力で企画立案し事業を推進する気持ちがなければ、またその意識が育たなけば画餅に帰すことになります。
そのためには、地域の皆さんが郷土愛を持って、地域にある様々な社会資源等を見出し、活用するソフト面の充実が肝要だと思います。
日本とインドネシア国の国民性の違いもありますが、我が国で十分に研鑽され、帰国後の皆さんのご尽力をご期待いたします。
本日、宮崎県議会の観光振興議員連盟と観光関連団体との意見交換会が、ホテルシーズンで行われました。

この意見交換会は、宮崎県内を3ブロックに分け、各地域の観光振興の取り組みや課題などより多くの地元の声を聞き、関係機関への提言等を行うとの趣旨だそうです。

出席者は、宮崎県議会観光振興議員連盟の外山三博会長他9議員の皆さんと同事務局職員、県ホテル旅館生活衛生同業組合の役員、県商工観光労働部慣行交流推進局長他、宮崎市・日南市・串間市・西都市・綾町関係の観光関係者、さらに全日空・日本航空・アシアナ航空の各支店長、JR九州役職員、宮崎カーフエリー社長他、県観光コンベンション協会役職員などの皆さんです。

各市町等の観光の現状や出席された観光業者の取組みなどの後、様々な要望や質問、意見交換の他などが約2時間半わたって行われました。

意見交換会に引き続き、各テーブルに別れ食事をしながら、更に個々に情報交換や意見交換等を行いました。
これからの観光はそれぞれの地域で取り組むのでなく、県内の数多い観光資源を最大限に活かし、県内外との地域連携を図り、点から面へと様々な業種が、有機的な取組みを進めて、観光振興を図って行く必要があるとの思いを致しました。
ただ、観光関係のトップの意見だけでなく、各地域で地道に一生懸命頑張っている個人や団体等の意見等を聞く時間等も、持っていただきたいものです。 また、せっかく県民を代表する議員さんがこちらにお見えになったことだし、形式的な意見交換でなく、時間をかけてもう少し突っ込んだ話ができなかったものかと残念でした。

この意見交換会は、宮崎県内を3ブロックに分け、各地域の観光振興の取り組みや課題などより多くの地元の声を聞き、関係機関への提言等を行うとの趣旨だそうです。

出席者は、宮崎県議会観光振興議員連盟の外山三博会長他9議員の皆さんと同事務局職員、県ホテル旅館生活衛生同業組合の役員、県商工観光労働部慣行交流推進局長他、宮崎市・日南市・串間市・西都市・綾町関係の観光関係者、さらに全日空・日本航空・アシアナ航空の各支店長、JR九州役職員、宮崎カーフエリー社長他、県観光コンベンション協会役職員などの皆さんです。

各市町等の観光の現状や出席された観光業者の取組みなどの後、様々な要望や質問、意見交換の他などが約2時間半わたって行われました。

意見交換会に引き続き、各テーブルに別れ食事をしながら、更に個々に情報交換や意見交換等を行いました。
これからの観光はそれぞれの地域で取り組むのでなく、県内の数多い観光資源を最大限に活かし、県内外との地域連携を図り、点から面へと様々な業種が、有機的な取組みを進めて、観光振興を図って行く必要があるとの思いを致しました。
ただ、観光関係のトップの意見だけでなく、各地域で地道に一生懸命頑張っている個人や団体等の意見等を聞く時間等も、持っていただきたいものです。 また、せっかく県民を代表する議員さんがこちらにお見えになったことだし、形式的な意見交換でなく、時間をかけてもう少し突っ込んだ話ができなかったものかと残念でした。
『第32回飫肥城下まつり』は、早朝から予想以上の激しい雨で、予定されていた行事が大きく変更されました。


パレードは中止になり、予定されていた泰平踊は、小村記念館で午後2時半と4時の2回披露されました。

泰平踊は、パレードの目玉だったため、満席状態でした。

飫肥小学校のメインステージでは、パレード参加予定だった団体で希望される団体の演舞が披露されました。

午後4時からのステージイベントについては、予定どおり開催されましたが、悪天候のため観衆はわずかで、寂しい限りでした。


その他、『豫章館』では池坊の生け花、野点はお数寄屋に変更になりました。



メインステージでは、雨が降り続く中、ゲスト歌手山本リンダのステージが終わると、『九地区対抗歌合戦』決勝の発表がありました。

優勝したのは、吾田地区でした。

強い雨と風の吹く中、今年の『飫肥城下まつり』は、午後8時までには全てを終了しました。

今年は全国スポーツレクレーション祭が開催されたため、『飫肥城下まつり』は、例年より1週間遅れて開かれました。来年は、素晴らしい晴天に恵まれることを願っています。


パレードは中止になり、予定されていた泰平踊は、小村記念館で午後2時半と4時の2回披露されました。

泰平踊は、パレードの目玉だったため、満席状態でした。

飫肥小学校のメインステージでは、パレード参加予定だった団体で希望される団体の演舞が披露されました。

午後4時からのステージイベントについては、予定どおり開催されましたが、悪天候のため観衆はわずかで、寂しい限りでした。


その他、『豫章館』では池坊の生け花、野点はお数寄屋に変更になりました。



メインステージでは、雨が降り続く中、ゲスト歌手山本リンダのステージが終わると、『九地区対抗歌合戦』決勝の発表がありました。

優勝したのは、吾田地区でした。

強い雨と風の吹く中、今年の『飫肥城下まつり』は、午後8時までには全てを終了しました。

今年は全国スポーツレクレーション祭が開催されたため、『飫肥城下まつり』は、例年より1週間遅れて開かれました。来年は、素晴らしい晴天に恵まれることを願っています。
本日(24日)から飫肥城下まつりがスタートしました。
しかし、朝はあいにくの雨!!
午後から雨も上がりはじめ、夕方からメインステージの飫肥小学校に多くのお客さんが集まり始めました。

飫肥城復元に尽力された『河野礼三郎』第7代日南市長の胸像は、きれいに磨かれました。

早馬が城内に駆け込み『城下まつり』の開始です。メインステージでは太鼓競演のオープニングの後、開会宣言があり、郷土芸能披露には新日南市として新たに北郷町と南郷町が加わり九地区となって大変盛り上がりました。

夜になると城内の出店はは、お客さんでごった返していました。

続いてメインステージでは九地区対抗歌合戦です。各地区2名による予選が行われました。

九地区対抗歌合戦は、どの地区もプロ並みの皆さんをそろえての熱唱でしたが、明日の決勝に残ったのは、油津、吾田、東郷、北郷地区の四地区でした。

前夜祭の全てが終わったのは午後9時ごろでしたが、大手門通りでは、まだ多くの若者で賑わっていました。明日の『本祭』は、東国原知事もパレードに参加し、ゲスト歌謡ショーでは、あの狙い撃ちの山本リンダさんが歌います。また賑わいそうです。

『城下まつり』の詳しい行事日程は・『観光にちなんの旅』をご覧ください。
しかし、朝はあいにくの雨!!
午後から雨も上がりはじめ、夕方からメインステージの飫肥小学校に多くのお客さんが集まり始めました。

飫肥城復元に尽力された『河野礼三郎』第7代日南市長の胸像は、きれいに磨かれました。

早馬が城内に駆け込み『城下まつり』の開始です。メインステージでは太鼓競演のオープニングの後、開会宣言があり、郷土芸能披露には新日南市として新たに北郷町と南郷町が加わり九地区となって大変盛り上がりました。

夜になると城内の出店はは、お客さんでごった返していました。

続いてメインステージでは九地区対抗歌合戦です。各地区2名による予選が行われました。

九地区対抗歌合戦は、どの地区もプロ並みの皆さんをそろえての熱唱でしたが、明日の決勝に残ったのは、油津、吾田、東郷、北郷地区の四地区でした。

前夜祭の全てが終わったのは午後9時ごろでしたが、大手門通りでは、まだ多くの若者で賑わっていました。明日の『本祭』は、東国原知事もパレードに参加し、ゲスト歌謡ショーでは、あの狙い撃ちの山本リンダさんが歌います。また賑わいそうです。

『城下まつり』の詳しい行事日程は・『観光にちなんの旅』をご覧ください。
『第32回飫肥城下まつり』は、いよいよ明日10/24(土)、25(日)の2日間にわたり、開催されます。
本日、祭りを前にまつり会場や通りにちょうちんなどが飾りつけられました。
大手門前には飫肥藩主初代の伊東祐兵から十四代祐帰までの幟も立てられています

メイン会場の飫肥小学校のグランドでも着々とステージなどの設営が行われてます。

城内のテナント店のテントなどの設営も終わりました。

飫肥商人どおりにも提灯や幟が地元の皆さんによって立てられました。

夜になると灯りも燈りました。

さー準備はできました!
今年は合併して『新日南市』となった最初の城下まつりです。初めて東国原県知事も参加します。
後は天気が気がかりです。 雨天でもステージイベントは開催されるそうです。 しかし、パレードは少雨の場合は決行ですが、参加団体の各自の判断により、参加を取りやめることもあるようです。
予報では小雨の心配もありますが、何とかもって欲しいですねー。
『城下まつり』の詳しい行事日程は・『観光にちなんの旅』をご覧ください。
本日、祭りを前にまつり会場や通りにちょうちんなどが飾りつけられました。
大手門前には飫肥藩主初代の伊東祐兵から十四代祐帰までの幟も立てられています

メイン会場の飫肥小学校のグランドでも着々とステージなどの設営が行われてます。

城内のテナント店のテントなどの設営も終わりました。

飫肥商人どおりにも提灯や幟が地元の皆さんによって立てられました。

夜になると灯りも燈りました。

さー準備はできました!
今年は合併して『新日南市』となった最初の城下まつりです。初めて東国原県知事も参加します。
後は天気が気がかりです。 雨天でもステージイベントは開催されるそうです。 しかし、パレードは少雨の場合は決行ですが、参加団体の各自の判断により、参加を取りやめることもあるようです。
予報では小雨の心配もありますが、何とかもって欲しいですねー。
『城下まつり』の詳しい行事日程は・『観光にちなんの旅』をご覧ください。







