観光PR!
 もうすぐ2月、宮崎県南はこれから本格的な観光シーズンを迎えます。
 そこで、県南ならではの観光資源等がふんだんにある『日南、串間』の観光PRのため、1月28日~29日の2日間、福岡方面に出向きました。
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 今回のセールス活動主体は、行政や商工会議所、民間などの観光関係機関や団体等で組織する『宮崎県観光ネットワーク推進協議会』が中心です。
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 また今回は、主に福岡の大学生の卒業旅行や若いグループ等をターゲットにして作成した、『県南フリーガイド』などを持ってのキャラバンセールスです。
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 このため主な訪問先は、福岡に拠点を置く大手の旅行会社から学生向けツアーの支援を行う様々な旅行業者や出版業者など20社以上を訪問いたしました。
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 訪問先で対応していただいた方は、会社等のトップから旅行商品の企画開発などで活躍している皆さんです。
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 参加したキャラバン隊は11人ですが、3班に分かれて2日間のセールス活動でした。
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 各訪問先では、用意したパンフレット等でこちらの趣意が相手さんに伝わるように説明しましたが、各社熱心に対応していただきました。
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 最後に、2日間現地での案内や事前の予約など対応していただいた宮崎県福岡事務所にお伺いしました。
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事務所前では、東国原知事の等身大パネル2体が迎えてくれます。
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 福岡事務所は、天神のど真ん中の天神ビル8階フロアーです。窓からは、天神のビルが見渡せます。
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 福田所長さんや田中さんをはじめ事務所の皆さん!  会社訪問の段取りからご案内まで大変お世話になり有難うございました。
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 今回の県南観光の福岡キャラバンセールスは皆さんのお陰で、確かな手ごたえが感じられ、大変充実した成果のあったセールス活動でした。
 県南地方は豊富な観光資源だけでなく、プロ野球、サッカーチーム等のキャンプインをはじめ飫肥城下町『食べあるき・町あるき』など、楽しい企画やイベント等が年中開催される魅力のある観光スポットです。 全国からお見えになる観光客の皆さんもきっと満足していただくことでしょう!   ぜひ気候も住む人も暖かい当地にお出かけ下さい。
 私たちも、しっかりとおもてなしをして、皆さんをお待ちしています。
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花のプレゼント!
 今、飫肥城の『寒咲日南一号』が三部咲きになり、ようやく淡いピンクの花びらをいっぱいに広げ始めました。
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 また、この最も早く咲く桜『寒咲日南一号』の品種改良された北郷の『黒木』さんから、『菜の花』など一足早く、春の花のプレゼントもしていただきました。 
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 早速、『松尾の丸』などに飾りましたが、『黒木』さんからは、このような四季折々の花木等を度々頂いています。 いつも有難うございます。
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 現在咲いている桜以外に、昨年、『寒咲日南一号』を10本程城内に植栽しました。
 来年からはもっと多くの桜が皆さんを迎えます。楽しみですね~。
 最後に、上野日暮里にある『谷中霊園』を尋ねました。
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 ここには、飫肥藩主伊東家の中では、初代祐兵公と並んで称される『13代祐相公』の墓地などがあります。
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 伊東家の墓地は霊園のJR日暮里駅よりの大きな銀杏の木の側にありましした。
 こちらが、飫肥藩代13代藩主伊東祐相公の墓石です。
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 祐相公は『振徳堂』の設置や『堀河運河』の整備で有名な藩主です。
 この墓石は、14代祐帰公の妻になった『岩倉具視侯』の義理の妹『文子』さんのです。
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 『文子』さんは15代目にあたる貴族議員『伊東祐弘』氏の母でもあります。
 こちらの伊東家墓地は、明治になって造られた墓地ですが、戦災の痕も残っているようです。現在は静に眠っておられるようで、手を合わせて来ました。
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 この『谷中霊園』には、徳川家最後の将軍『徳川慶喜公』の墓地もあります。
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 5,600平方メートル余の墓域の中央からやや西南寄りに葺石円墳状の墳墓があり、広い塀に囲まれた墓地の中央に墓石があります。
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 徳川慶喜(1837~1913)は、水戸藩主徳川斉昭の第7子で、初め一橋徳川家を継ぎ、後見職として将軍家茂を補佐しました。
 慶応2年(1866)第15代将軍職を継いだが、翌年、大政を奉還、慶応4年(1868)正月に鳥羽伏見の戦を起こして敗れ、江戸城を明け渡した。
駿府に隠棲し、大正2年(1913)11月22日に没した。

 また、『長谷川一夫』さんの墓地もありました。
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 こちらは、こじんまりとした綺麗な墓地でした。『長谷川一夫』さんは、1964年には大河ドラマ『赤穂浪士』に大石内蔵助役で主演、これが生涯の当たり役のひとつとなったようです。


 
『東禅寺』
 目的の『東禅寺』は都営浅草線「泉岳寺駅」で下車し、徒歩で約7~8分のところにありました。
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 正門に扉では、伊東家家紋の『月に星九曜の紋』がしっかりと刻まれていました。
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 奥行きの長い通路を歩いて行くと、東京のど真ん中とは思えない広い森に囲まれた奥でご住職に迎えていただき、いろいろと貴重なお話をしていただきました。
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 この『東禅寺』の墓地には、飫肥藩主伊東家の江戸の菩提寺で2代祐慶、3代祐久、4代祐由、6代祐永、8代祐隆、9代祐福、10代祐鍾、11代祐民公などをはじめ歴代の正室等が静に眠っておられました。
 この墓地については、関係者だけしかお参りできません。このため、写真等で公開することもできませんのでご了解ください。
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 また、この『東禅寺』は、最初のイギリス公使宿館だった場所で、東禅寺事件が2度に渡って行われた場所です。この東禅寺事件とは、文久元年に、英国の仮公使館だったここ東禅寺に水戸浪士ら十数人が斬り込み、警護の武士らが20人以上の死傷者を出しながら、公使のオルコックを守り抜いた事件のことです。このため、この後菩提寺として様々な出来事もあったようですが、詳細は控えます。
 
 この『東禅寺』から歩いて3~4分のところに、忠臣蔵で有名な『泉岳寺』があります。
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ここ泉岳寺には『藩主浅野内匠頭』や『赤穂浪士(四十七士)』の墓があります。
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 『藩主浅野内匠頭』と『大石内蔵助』の墓です。
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 松の廊下での刃傷沙汰の後、即日切腹となり、赤穂藩は御家断絶となり、のち吉良家討ち入りが果たされたのです。
 辞世は「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」
 また、赤穂浪士達が吉良討ち取り後、この泉岳寺へ立ち寄り、吉良の首を藩主浅野内匠頭の墓前に供えたそうです。

 次、最後は13代藩主伊東祐相公の墓地がある上野日暮里の『谷中霊園』 をアップします。
続『飫肥藩所縁の地』
 ようやく、目指す『霊南坂』を探し当てました。
 霊南坂はアメリカ大使館前正面入口から、港区虎ノ門2丁目(ホテルオークラ、東側)と、赤坂一丁目(米国大使館、西側)との間を南に上る坂道がそうです。
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標識は、港区設置の木製のものが坂上と坂下に設置されています。
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 ここは飫肥藩主の伊東祐慶が慶長15年、南郷出身の嶺南崇六を招聘して嶺南庵を創建したところです。その後、嶺南和尚にちなみ霊南坂と名づけられてということです。 嶺南庵は寛永13年(1636)に幕府の用地になり高輪に移り、江戸の伊東家菩提寺である東禅寺と改称し現在に至っています。
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 星条旗が翻るアメリカ大使館周辺は、警備の警官がいたるところに配置されていました。

 また、この近くには霊南坂以外にも、汐見坂、落合坂、行合坂などが溜池周辺に接しており、その名の由来が、それぞれ柱の裏に記されていました。
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 その後、首相官邸前を通り、最寄の地下鉄に急ぎました。
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 日比谷線の霞ヶ関駅から乗車し、次の目的地『江戸の伊東家菩提寺である東禅寺』に向かいます
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『飫肥藩所縁の地』
 次は『飫肥藩』に関係のある地を訪ねました。
 先ず、東京駅から歩いて江戸の『飫肥藩上屋敷跡』に行くことにしました。
 東京駅は工事中でシートで覆われていて、丸の内方面からは、レンガ造りの一部だけが見えていました。
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 当駅の位置は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく、建設当時はまだ野原だった丸の内側に建設されたようです。皇居の正面に設定され、丸の内口の中央に皇室専用貴賓出入口が造られたことから分かるように、国家の象徴的な位置付けであった。なお、現在の行幸通りはまだ皇居前広場まで開通していなかったそうです。

 大手町永代通り三菱東京UFJ銀行のこの辺りが、江戸時代の評定所跡です。
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 この評定所では、御家騒動など藩内部の騒動や旗本領と他領との境界線争いのような領地をまたがる裁判などを扱うところでした。『飫肥藩伊東』が『都城島津』と『牛の峠』の長年の境界争いで決着がついたのもここの評定所でした。

 そこからは、皇居方面にまっすぐ歩くと、大手門です。
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 大手門は江戸城本丸の正門で、各大名や旗本たちが江戸城へ登城する際の通用門だったため、警備も厳重であり、この大手門を入ると大手中の門がありました。 人物を要チェックする同心番所と百人番所があり、これを過ぎると大手三の門と大番所、さらに本丸書院門(大手中雀門)を通って漸く本丸にたどり着ける。このため大手門から本丸まではまだまだ長い道程があったそうです。

 そして皇居二重橋。
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 皇居前広場から正門を経て宮殿へ至る濠に二つの橋が架かっており、手前の橋が「正門石橋」、奥の橋が「正門鉄橋」でだそうです。
 「二重橋」は一般にこの二つの橋を総称して言われていますが、厳密には奥の橋を指します。  これらの橋は、通常は使用されず、新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等宮中の公式行事の際に利用されるそうです。

 そこから堀沿いに歩くと、桜田門に出ます。
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 『桜田門外の変』は、江戸で起こった維新関連の中で最も大きな事件で、大老井伊直弼が水戸浪士に桜田門外で殺害されました。

 その目の前にある赤レンガの建物が、旧法務省本館です。
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 赤レンガ棟と呼ばれるこの建物では、かつて司法大臣が執務をとっていた部屋が法務史料展示室として、一般開放されています。建物内部はもとより昔の登記簿、明治期の刑法典編纂の史料、刑事事件に関する書類とかが展示してあります。

 霞ヶ関を通り、次に向かったのが『日比谷公園』通りですが、この周辺はポーツマスで日露講和条約と締結し、小村寿太郎全権大使が帰国する時に暴動の発生した一帯です。
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 日比谷公園は、宮崎平和台公園と姉妹公園で中央には、埴輪もあります。

 そして、目指す『伊東飫肥藩上屋敷の跡』です。
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 現在は、『日本プレスセンター』(手前)と『日本新生銀行』(右側細高いビル)になっています。ここは江戸時代の外堀の内側にあり、周辺一帯は全て各藩の上屋敷跡です

次は、『霊南坂』を目指しましたが、途中に愛宕神社があります。
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 山上にある愛宕神社は、桜田門外の変で井伊直弼を襲った水戸藩の浪士達もここで成功を祈願してから江戸城へ向かったとのことです。また、この急な石段は「出世の石段」と呼ばれています。
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 ところで、日本放送協会(NHK)の前身の一つである社団法人東京放送局(JOAK)は、この愛宕山に放送局を置き、1925年の日本初のラジオ放送は、この愛宕山から発信されたものです。

 次は、『霊南坂』や江戸の『伊東家の墓地』等をアップします。

『外務省外交史料館』
 続いて向かったのは、『小村寿太郎侯』が外務大臣時代に活躍した様々な歴史的史料が収集保存されている『外務省外交史料館』です。
 港区の麻布台にあり、地下鉄南北線六本木1丁目駅より、歩いて7~8分の飯倉交差点付近の麻布郵便局の隣にあります。
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 正面玄関脇には、九州・沖縄サミット(2000年)を記念して那覇の壺屋焼チブルシーサーが展示してあります。  
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 史料館では、先ず閲覧室に案内されました。
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 事前にご相談していた米内外務事務官に小村寿太郎に関わる日露戦争関係資料の閲覧など様々な対応をしていただき、大変お世話になりました。大変貴重な当時の外交文書には小村外相の花押があり、逐一これらの外交文書に小村自身が目を通していたことが伺えました。 
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 今後必要な文書等は、複写申込書により申し込んでおきましたが、後日送付されるとのことです。

 続いて隣接している『外交史料館別館』に入館しました。
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 ここは、『吉田茂記念資料特別展示所』になっておりますが、展示室入り口ではいきなり『吉田茂』氏の胸像が出迎えです。
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 展示室では、現在『原敬と転換期の日本外交』がの企画展示されていました。『原敬』が生きた時代は、小村も活躍した時代です。ここでは当時の日本外交を当館所蔵の関係史料を通じて紹介されています。
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 その中で私の目をひき付けたのは日露講和条約に尽力した『小村寿太郎侯』の展示場所です。
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 歴代外務大臣のなかで特に評価の高い『小村寿太郎侯』が、『陸奥宗光大臣』と共に展示室の中央に堂々と展示されていたのです。そしてその向かい側には、あの『吉田茂首相』が青山の墓地のように前後に展示されています。
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 三国干渉の遺恨と満韓をめぐる対立から日本の国論は沸騰し、政府はロシアとの開戦を決意しました。 1904(明治37)年2月5日、小村寿太郎外務大臣は栗野慎一郎駐露公使に対して、ロシア政府に国交断絶の通告公文を提出するよう命じました。その訓電の冒頭には小村外相の花押(その独特の形をたとえて「帆掛け船」と呼ばれました)がみられるそうです。翌日公文がロシア政府に提出されるのと同時に、小村外相は駐日ロシア公使ローゼンにも国交断絶を告げ日露の戦争が決定的となりました。
 戦費や物資の問題から長期戦を回避したかった日本は開戦当初より早期講和を目指し、アメリカに講和の斡旋を求めました。日本海海戦により日本の勝利が決定的なものになると、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトはロシアに対して講和を強力に勧告し、ロシアもこれを受け入れることになりました。

 そしてこれが、1905(明治38)年8月、アメリカのニューハンプシャー州ポーツマスにおいて講和会議が開催され、9月5日、日本側全権小村とロシア側全権ウィッテが調印した、15条の本文と2条の追加約款からなる講和条約です。
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 調印には両全権のほか、高平小五郎全権、ローゼン全権の署名がみられます。条約と関係文書は全部で12通作成され、各全権は12回の署名をしなければなりませんでしたが、小村全権はそのたびに新しいペンを用いてサインしたとされています。

 日本政府は10月14日にこれを批准し、11月25日、ワシントンで批准書交換が行われました。
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 ロシア側批准書には紫の装丁が施されています。また、蝋缶にはロマノフ王朝の紋章である双頭の鷲が用いられています。

これは、明治時代の外務省です。恐らく『小村寿太郎侯』もここで執務を行っていたと思います。
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 講和条約の発効によって日本は樺太の南半分を獲得し、樺太では1906(明治39)年より境界画定作業が行われました。
 作業終了後に作成された「樺太島日露境界画定紀要」によれば、境界線は「東「オコツク」海ヨリ西韃靼海峡ニ亘リ天文測量ニ依ル北緯五十度ノ線ニ準フテ」画定され、北緯五十度の基準として四カ所に大標石が設置されたのち、十七個の小標石が置かれ、他に標木も据えられました。大標石は花崗岩でつくられ、北側の表面には双頭の鷲が、南側の表面には菊花章が刻まれていたようです。
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 しかし、このような『小村寿太郎侯』の命を懸けた努力が、太平洋戦争によって全てを失ってしまいました。
 皮肉にも、『外務省外交史料館』の通りの向こうには『ロシア大使館』があり、こちらを伺っているように見えます。
 小村侯が後20年いやせめて10年でも長生きしていたら、日本はまた違った道を歩いていたかも知れません。
『青山霊園』
 続いて、歴史の森と言われ、『小村寿太郎侯』が眠る『青山霊園』です。
 地下鉄銀座線外苑前駅で下車して徒歩で6~7分のところに緑豊かな『青山霊園』があります。霊園の中は、桜の並木が続いていて喧騒の大都会の中とは思えない静かな場所です。
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 目指す『小村寿太郎侯』の墓地は、乃木将軍通りと呼ばれる桜並木の約150m先にある『警視庁墓地』の近くにありました。
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 墓地は周辺より高めに盛られており、正面には石の鳥居ががあり、奥の中心に墓石が建っています。
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 墓石の裏には亡くなった明治44年(1911年)11月26日が刻んであります。
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 ここ『青山霊園』は我が国最初の公共墓地で、明治7年(1874年)に郡上藩青山屋敷跡に設けられたそうです。現在、1万4千の墓所に12万人余の方々眠っているとのことです。 
 中には、我が国の近代史に名を残す著名人の墓所も数多く眠っています。
 『小村侯』墓地の後ろ斜隣には、『吉田 茂』氏の墓地があります。
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 『吉田 茂』氏は麻生太郎前総理の祖父で、生前、『小村寿太郎候』を歴代外務大臣の中で最も称賛していたことを、麻生氏も述べています。
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 こちらは、有名な小説家『尾崎 紅葉』(本名、徳太郎)の墓地です
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 そして、こちらが明治の偉大な軍人『乃木希典』司令官の墓地。
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 びっくりしたのは、墓石が意外と素朴だったことです。
 乃木将軍は、明治天皇の大喪当日、静子婦人と共に自決されています。
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 この高い墓石は、『池田勇人』元首相の墓です。『池田氏』は吉田茂の最側近として、連合国との講和、冷戦下における日米関係の構築にかかわると同時に、第二次世界大戦後の日本経済の再編成においても指導的な役割を担い、首相就任後は所得倍増計画を打ち出して、日本の高度経済成長の進展にもっとも大きな役割を果たした政治家の一人です。
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 これは、東京帝国大学農学部の上野英三郎教授の墓地ですが、側に小さな『忠犬ハチ公の碑』がありました。
『忠犬ハチ公』は渋谷駅の像で有名ですが、『ハチ公』の慕った上野教授は、1925年(大正14年)5月21日に急死されたようです。
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 しかし、その後も、毎日渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けたといわれ、主人を慕うハチの一途な姿は人々に感銘を与え、「忠犬」と呼ばれるようになったとのことです。

 『小村寿太郎侯』墓地の隣は、加藤 友三郎(かとう ともさぶろう)氏の墓地、加藤氏は、元帥海軍大将で、第21代内閣総理大臣です。(この真後ろに見えるのが『吉田茂』の墓地)
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 またこれは、1932年5・15事件で軍人に殺害された犬養毅(いぬかい つよし)首相の墓地です。犬養首相は「話せばわかる。」と反乱をおこした軍人に声をかけたが、暗殺された話は有名です。
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 犬養毅の殺害により、もう、だれも軍部の暴走を止めることができなくなり、第2次世界大戦の悲劇(ひげき)をむかえることになります。武器をおそれず、軍部をおさえようとした犬養毅の勇気に敬意を表したいものです。

 近くの梅ノ木が、早くも満開でした。
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 このように緑豊かな歴史の森『青山霊園』には、多くの著名人の墓地がありますが、霊園の近くにはいろいろな歴史的名所や記念館などの魅力的場所も数多くあります。 機会があったらまたゆっくり散策してみたいものです。時期的には、桜の咲く頃がいいですね。
『小村寿太郎侯』を尋ねて
 東京や神奈川などの『小村寿太郎侯』の所縁の地を訪ねました。
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 相模湾上空では、寿太郎侯も眺めた富士山が出迎えです。

 先ずは、『寿太郎侯』がなくなるまで過ごした、葉山の終焉の地に向かいます。
 品川駅からJRで逗子駅で下車します。
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 そこからバスで葉山に向かいます。
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 葉山にある県立近代美術館から山手を眺めた付近が、どうも目的の『寿太郎侯』終焉の場所のようですが、地元の方に聞いても場所が中々確定できませんでした。
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 しかし、事前に地元MPOの方に頂いていたマップを基に、ようやく石碑を見つけることができました。それは、松の庭木の後方にひっそりと建っていました。
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 晩年を過ごした家は、この石碑のある家でなく、さらに奥に20mくらい入ったところのようです。
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 大きな蘇鉄が植えてある家が、左手奥の方にありましたが、恐らくここが目的の場所だと思われます。
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 ここの場所には、3軒ほどの家屋がありましたが、どの家も住んでいる形跡が無く、空き家になっているものと思われます。
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 家屋は当時のものでないようです。 『寿太郎侯』が眺め、病を癒した灯篭や庭の跡が残っているようです。庭にはツワブキなどもあちこち育っていて、日南地方で見かけられるような庭の感じがしました。
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 何となく寂しい想いをしながら、次に『寿太郎侯』が散歩したと思われる葉山の一色海岸に行ってみました。
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 海岸からは、相模湾の向うに雪を被った富士山がうっすらと見えました。
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 さらに海岸に降りて行来ました。葉山御用邸の外にあるこの辺りが、皇族の皆さんが散歩される海岸だそうです。
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 当時は政財界や皇族の超高級別荘地のあった葉山周辺は、葉山を散策して見ると、今は空き家と高齢者が目につき、当時の面影は無くなりつつあるように見えました。
 来2011年11月26日は、『小村寿太郎候』没100年です。
 故郷飫肥から遠く離れたこの地で『寿太郎侯』はどんな気持ちで、晩年を過ごしたのか思いを馳せました。
 次は、『寿太郎侯』が眠っている青山墓地です。
ついに開花!
 飫肥城内の桜が、ついに昨日開花しました。
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 未だか未だかと待っていた、城内の桜『日南寒咲一号』が、ここ2~3日のぽかぽか陽気で、とうとう開花です。
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 19日から21日まで東京、神奈川方面に視察研修に行ってる間に、昨日咲いたようです。
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 今日お見えになった、北海道の皆さんもびっくり。
 これから城内は、『緋寒桜』、『河津桜』、『山桜』、『吉野桜』などの桜が、次々に咲き続けて、飫肥城にお見えになる観光客の皆さんの目を楽しませることでしょう。
 町も人も温かい飫肥城にお出で下さい!
おめでとうございます!
 昨日、結婚式の前撮りにお見えになった幸せなお二人です。
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 お二人とも市内で、酒谷と南郷にお住まいだそうです。
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 とても仲の良いお似合いのカップルさんです。式は来月とのことですが、お幸せに!

創作料理『槇』
 飫肥城の近くにある創作料理『槇』で、久し振り仲間と飲みました。
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 昔の上級武士の佇まいが、そのまま残っている落ち着いたお店です。
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 玄関をくぐると、女将さんにお迎えいただきました。
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 奥ゆかしい雰囲気を醸し出すように、客間の回りもいろいろ工夫してあります。
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 今日の創作料理は、小鯛の活き造りをメインにした、手づくりの料理です。
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 いずれも新鮮な地元の素材を使用した料理です。
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 創作料理『槇』の庭や垣根は、屋号にある槇を中心に植樹され、和風の庭が造られています。忙しい昼間の仕事から離れて、ゆっくり時間が過ぎて行くのを感じながら、久し振りに仲間と楽しい一時を過ごしました。
 頑張ってください!
 本日、えびの市から飫肥城下町の『食べあるき・町あるき』の体験と視察研修にお見えになりました。
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 お見えになったのは、えびの市『京町温泉活性化プロジェクト』のメンバーだそうです。
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 『京町』と言えば、天然の豊かな温泉や数多くの観光資源があり、私たちにとっては、羨ましい限りの町です。
 町づくりは、先進事例を参考にするだけでなく、その地域にある様々な資源を活用するとともに、埋もれている資源を掘り起こし磨きをかけ、新たな資源として活かし、注目度を高めていくことが必要だと思います。 しかし、行政に頼り任せていて座していると町は疲弊するだけです。
 『京町』は多くの可能性を秘めた魅力のある町です。 地域の皆さんの知恵とアイデア、そして努力で地域を売り出て行くことは可能です。
 検討しているだけでは、時は待ちません。 意識のある皆さんのパワーのあるうち、リスクを恐れず、一刻も早く町づくりに取り掛かって頑張ってください!
 ピッカ、ピカ!
 今年も歴史資料館のフロアの清掃を行いましたが、ピッカピカになりました。
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 毎年1回のワックス清掃ですが、、全てのフロアや床sを清掃し磨き上げます。
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 展示室だけでなく、事務所やトイレなども綺麗に清掃です。
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 清掃作業を行っていただいたのは(有)レイビのスタッフの皆さんです。
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スタッフの皆さんは様々な清掃道具を使用し、連携良く作業を進めていただきました。
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 清掃作業は、観光客の皆さんが帰った午後4時半から行っていただきますが、仕上げ乾燥まで全てが終わるのは午後8時頃です。
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 すっかり綺麗になりました! スタッフの皆さん寒い中お疲れ様でした。
 明日からお見えになる観光客の皆さんは、靴を脱いで入館される下も知れませんね~・・・気を付けないと! 

梅開花!
 先日の雪の後、大手門前の梅の花が咲き始めました。
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 城内の桜の蕾もかなり膨らんで今にも咲きそうです。
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 この桜は、飫肥城内で最も早く咲く『寒咲き日南1号』です。
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 この『寒咲き日南1号』は北郷の桜博士と言われる黒木さんの改良されたもので、平成17年に『近畿日南の会』が飫肥城内に植樹されたものです。
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 後4~5日で開花しますが、今月末には満開になります。昨年、この桜を見られた多くの観光客の皆さんに気に入っていただき「ここの桜はとてもきれいですね~。 花の季節には、またぜひ見に来ます。」と言って頂いてます。
 飫肥城下町保存会でも、もっと多くの皆さんにこの『寒咲き日南1号』の桜の花を楽しんでいただくため、昨年黒木さんから譲っていただき、城内のあちこちに植栽しました。今年は未だ花芽が付来ませんが、既に若葉が出ています。
 将来、飫肥城は1月から5月頃まで、様々な桜が咲き続ける桜の名所になるかもしれません。
飫肥城に雪!
 昨日は、日本各地で雪が降ったようですが、飫肥城下町にも10数年振りに、雪がうっすらと積もりました。
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 『豫章館』も雪化粧です。
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 いつもは、観光客の皆さんの皆さんで賑わう、玄関前やお庭も珍しい雪に覆われました。
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 こちらは『小村記念館』です。
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 『小村寿太郎侯』も久し振りの雪に、びっくりされていることでしょう。
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 『大手門』に朝日が射し始めると、見る間にとけていきました。
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 テレビニュースでは、冬型の気圧配置で全国的に冷え込み、鹿児島も雪が降り続いていたようです。
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 飫肥(おび)の語源は、雪もほとんど降らず冬も暖かくて肥沃な土地であるため、食べ物にも不自由しない所が由来とも言われています。
 このような豊かな土地を『島津』と『伊東』が求めて、飫肥では、戦国時代の歴史に残る長い攻防が、繰り広げられました。
 今回の雪は10数年振りに積もったようですが、たまにはこのような雪の風情も小京都飫肥には合っているような気がします。


『画家井山忠行』個展
 飫肥城下町にある『ギャラリーこだま』で、インドネシア『バリ島』在住の画家『井山忠行』氏の個展が開かれています。
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 店内には、井山さんがバリ島で描かれた様々な絵が、展示してあります。
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 井山さんの南国的でエキゾッチクな絵が、古い屋敷の中に調和して何んともいえない雰囲気をかもし出しています。
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 一方、井山さんは、日南県病院病院のエントランスホールに飾る『日南讃歌』という壁画の製作中です。
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 井山さんは宮崎市のご出身ですが、病気に罹り日南病院で手術を受けたのをきっかけに、患者の皆さんや病院を訪れる方を元気付けるために壁画を飾りたいとの思いがあり、しかも病院に負担をかけないように自費で製作されているとのことです。
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 日南県病院病院のエントランスホールに飾る壁画は、縦2m,横は28にもなる巨大な絵です。
 このため、商工会議所をはじめいくつかの団体等が、壁画の完成に向け『Tシャツ』を販売するなど様々な取組みをしています。

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 『ギャラリーこだま』のオーナーも井山さんの熱意に打たれ、少しでも協力できればと、店を提供して応援されています。
 1月末まで開催されるとのことです。
 この機会に多くの皆さんにもぜひお出でいただき、井山さんの力作を鑑賞して一緒に応援してください。

出初式!
 日南市が北郷町・南郷町と合併して初めての『出初式』が、1月10日(日)飫肥の本町通りや酒谷川の川原で開催されました。
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 先ず、本町通りでは、午前8時から団員の行進が始まりました。
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 壇上には、市長、議長他関係機関や団体のトップが整列して行進を見守ります。
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 続いて、各団や消防本部等の消防自動車等の行進
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 今年は、北郷や南郷の分団車も参加して、昨年の倍の車の数です。
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 そして、酒谷川の川原では、消防車が整列して一斉放水が始まりました。 放水中にはきれいな虹も出て、出初式を祝福しているようです。
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 酒谷川の両岸の川原には、消防自動車がびっしり整列。
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 上空には、県の防災ヘリコプターが旋回し、『出初式』の状況を上空から視察のようです。
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 見学に来ているちびっこ達から、「カッコいいな~」「乗りたいな~」との声が聞こえてました。
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 式典の最後に各分団毎に整列した消防団員の皆さんです。
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 新日南市になってはじめての『出初式』でしたが、緊張感のある素晴らしい式典でした。
 消防団員の皆さんは、市民の大事な財産や生命を守るため、日夜ご尽力いただいています。これからも皆さんのご活躍を期待し、今年が大きな事故や災害のない明るい年であることを願ってます。


『十日恵比寿まつり』
 昨日、午前10時から『飫肥十日恵比寿まつり』が賑やかに行われました。
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 本町通りにある商売の神様『恵比寿神社』では、商売繁盛を願って神事の祝詞などが執り行われました。
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 続いて勇壮な獅子舞の奉納。
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 神社前では、新しい『福笹』などを求めて、多くの皆さんが列をなしていました。
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 縁起物で笹持って来いの『福笹』や『キジン棒』が、飛ぶように売れてました。
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 今年の福娘の皆さんです。
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 また、神社向かいのお店では、温かいぜんざいのおもてなしです。
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 商店の皆さん、朝早くからの準備お疲れ様でした。
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 一方、通りの駐車場広場では、泰平踊の披露もありました。
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 『本町保存会』と『亀の子』の皆さんによる、合同の初踊りです
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 今年の『飫肥十日恵比寿』は、飫肥城下町の『食べあるき・町あるき』が開始されて初めてのまつりで、食べあるき参加の観光客の皆さんも多く見学に来られ、泰平踊に感激されていました。
 今、飫肥の商店街や町の賑わいが出始め、少しずつ活気もでているようです。今年も地域皆で協力し、頑張っていきたいものです。
 成人になりました!
 昨日、成人式に参加され、飫肥城にお見えになった市内のきれいな娘さんです。
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 『ご成人おめでとうございます!』
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 年々人口が減少する中、新日南市になって初めて『成人式』が開催されました。
 今年の新成人は、537人(男260人、女277人)だそうで、南郷町、北郷町の3会場で実施とのこと。
 皆さんを生まれ育てられたご両親と故郷日南、皆さん方は日南市にとっては貴重で大事な宝です。 これからはこの素晴らしい故郷を一緒に育てていき、素晴らしい日南市を全国に発信して頂きたいと思います。
 新年会!
 『南那珂森林組合』の新年会が開かれました。
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 会のセッティングや進行は、課長の皆さんです。 先ずは、副組合長の挨拶。「林業を取り巻く環境は、今年も厳しいがようだが、一人一人が頑張る意識を持って、皆で協力していこう!」と力強い挨拶でした。
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 参加者は、役員と職員・準職員の皆さん約60人です。
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 各テーブルでは、挨拶や意見交換が行われ、今年の抱負や組合事業の取り組みなどの話題に花が咲いていました。
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 こちらはテーブルに載せられた、当ホテル自慢の料理だそうです。
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 地元産の鯛の活造りから鰤の煮物など、新鮮な魚や数々の料理が次々と出てきました。
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 最後は、筆頭監事の一本閉で一次会が終了です。
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 『南那珂森林組合』は県南の林業を支えていると言っても過言ではありません。
 そこで、島田組合長が提案された平成22年度の運営方針案には、「私達はどんな苦しい困難な状況においても、毅然とした姿で的確にしかも俊敏に対応できる集団であることを誇りとしなければならない。」という乃木大将の名言が引用されました。
 そして、組合員の期待に応えられるよう確実に実績を上げるため、努力と英知を絞り自身を持って全員で協力して、厳しい荒波を乗り越えていくことを誓い合いました。
まずは、一安心!
 飫肥城の大手門通りにある、案内板の前の側溝に、蓋が取り付けられました。
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 この案内板は、観光駐車場から大手門に向かう正面にあり、今まで側溝蓋が無く大変危険な状態でした。
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 最近の観光客は、高齢者や子どもさん連れの家族の皆さんが多いようですが、この案内板の前は駐車場に向かう大型の観光バスが、左折する時に大きく右側によります。
 このため、案内板を見ている皆さんが大変危険で、以前から市に要望がされていました。ようやく側溝蓋を被せていただき、これで一安心です。
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 次に早急にお願いしたいのは、この大手門通りの県道の交差点から本町通り(国道222号)までにある電柱の埋設です。
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  また、昨日の・『館長ブログ』にもあるように、今大手門通りは、『食べあるき・町あるき』などで多くの皆さんが、行きかうようになりました。そこを大型バスや観光客の乗用車などが頻繁に通り、危険でいつ大きな事故が発生してもおかしくありません。
 これまでも、地元の皆さんや市議等が繰り返し市にお願いしています。市からは、「来年度までには何とかできそうだ」との感触を受けていますが、一日も早い対応をお願いしたいものです。
 
 昨日、関東方面から飫肥城下町の『食べあるき・町あるき』ツアーがお見えになりました。
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 このツアーは大手の観光旅行会社が商品化して、『とっておきのあったか南九州みどころ紀行』2泊3日のコースに組み込まれているものです。この日は、千葉、群馬など関東方面からバス2台85名の皆さんでした。来週も150人の皆さんがお見えになります。
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 『食べあるき・町あるき』は、これまで家族の皆さんが中心でしたが、先月から旅行会社のツアーの皆さんが、昼食を兼ねて2時間あまりの『食べあるき・町あるき』の散策を楽しんでいただくことになりました。
 今月中には、まだいくつかのツアーや団体の皆さんが、お見えになる予定です。
 その他にも、多くの問合せがきています。2月8日(月)の午後0時半から20分間、NHK『ここはふるさと旅するラジオ』でも全国に生中継されるそうです。
 これからは、全国の皆さんを町ぐるみでしっかりおもてなしをして、この事業を定着させなければなりません。
『みやざきゲンキTV 』
本日、UNKテレビの録画撮影がありました。
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 これは『みやざきゲンキTV』の収録だそうです。
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 UMKのお菊ちゃんこと小西アナウンサーさんとスタッフの皆さんです。 
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 この『みやざきゲンキTV』は、『キンカン追いかける!』というタイトルで、1月17日(日)午前9時35分から9時50分の放映だそうです。
 井上ディレクターさんをはじめスタッフの皆さん、寒い中での収録お疲れ様でした。
 
 強風の寒の入り!
 本日は小寒で寒の入りです。朝出勤すると大手門前は昨夜からの強風によって、杉の枯れ葉などが散乱していました。
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 横馬場通りを通って行くと、飫肥中学校校門前では、明日からの登校に備えて中学生が、元気良く散乱した木々の枝葉等をきれいに清掃していました。
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 城内に入って、階段から犬ノ馬場付近も、一面に散らばっています。
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 いつものことですが、保存会の職員が開門前に、ブロアーなどで急いで除去し、綺麗にしてお客さんをお迎えします。
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 枯れ枝等がすっかり除去され、綺麗になった大手門前と犬ノ馬場付近。
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 本日は、冬型の気圧配置で風も強く、日が昇ってきても、一日中寒くて観光客の皆さんの出足も鈍かったようです。
 明日からは、『食べあるき・町あるき』のバスツアー客も予定されています。早く暖かくなってもらいたいものです。
おっ!蕾が!
 飫肥城内にある桜の蕾が、早くも綻び始めました。
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 この桜は、『日南寒咲き1号』と言う品種で、桜博士と言われる北郷の黒木さんが、改良された早咲きの桜です。
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 一年中で最も寒いこの時期に、膨らみ始めた桜の蕾を見て、観光客の皆さんもびっくりです。
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 もう2週間すると最初の蕾が開花すると思います。
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 飫肥城内には様々な桜が育っています。1月末には早咲きの桜が開花し、続いて『寒桜』、『河津桜』、『山桜』などが咲き始め、その後3月に『吉野桜』や遅咲きの桜が咲いて、4月末まで咲き続けます。
 早咲き桜は、梅より早く咲く木もあります。いずれにしても、新春と共に飫肥城の春がやってきた感じがします。
久し振りの休暇 !
もう正月3日、今日は久し振りの休暇で、自宅でゆっくりして、買い物などのんびりした一日を過ごしました。
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 自宅の生花や玄関などをゆっくり眺めるのも久し振り!
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 自宅前の通りを見ると、神社の初詣の幟が、いつの間にか立てられていたのにびっくり!
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 午後から近くの電気店で買い物に行きましたが、店内は多くのお客さんで賑わってました。
 今使用しているカメラの調子が、使い過ぎで故障しがちで、いつお陀仏になるか時間の問題でしたので、同じメーカの新型カメラにチェンジしました。
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 周辺のお店の駐車場も満車状態です。
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 買い物を終えて、飫肥城の観光客の状態が心配で、様子見に行って来ました。
 大手門前では、『祐兵クラブ』の皆さんが、新年の人力車サービスの最中でしたが、結構お客さんも賑わっていて安心しました。
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 皆さん!今年もよろしくお願いします! 地域の町づくりに一緒になって頑張りましょう。
 
初日の出!
 遠くに太平洋を望む『我が山』からの『初日の出』!
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 次第に明るくなると、山小屋と自慢の『女王椰子』の森が現れてきます。
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 門松今年が、健康で明るい年になるようにF☆Cultivation・門松とりあえず手を合わせました
年の初め
 飫肥城の大晦日の毎年の恒例行事『飫肥城の除夜の鐘をつく会』を午後11時半から開催しました。
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 31日午後から、『灯りともす会』など地元の皆さんのご協力で、会場の設営などを行いました。
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 そして午後10時に点灯です。大手門から廃油利用のキャンドルやかがり火がとても幻想的です。
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 大手門の裏には、2010年と新しい年の干支(トラ)の文字が鮮やかです。
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 午後11時になると多くの皆さんが集まって来ました。
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 鐘つき順番の番号札配布を10時から行いましたが、8時半に最初に並ばれた市内の親子さんです。
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 また、飫肥小学校ロビーでは、バンドの愛好者(『チーム荒木』の皆さん)によってカウントダウンライブが開かれていました。
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 そして、オープニングは11時30分から地元『田上八幡神社獅子舞保存会』の皆さんによる威勢のいい獅子舞の披露で始まりました。
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 来賓や役員に続き一般の皆さんの鐘つきが、スタートです。
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 同時に、地元や保存会の皆さんによって、温かい飲み物やぜんざいなどのおもてなしもありました。
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 鐘つきに来られた皆さんです。
 昨年結婚された新婚さんとそのお友達です。
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 「これから南郷に初日の出を見に行きます。」とのこと

 こちらは、今年成人を迎える飫肥中の卒業生の皆さん。
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 「日南大好き。」「地元の人は皆が優しい。温かい大人になりたい。」「日南は僕のオアシス。」 「今、東京にいるけど田舎が恋しくなる。」などのコメントいただきました。

 こちらも市内のご家族です。
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 「息子の宙(ひろ)が、今年年男です。いろんなことを頑張ります。」

 こちらは飫肥にお住まいのご夫婦です。
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 「県外に住んでいましたが、Iターンで飫肥に居住しています。飫肥の町は、水や魚が美味しい! 今、竹香園の昇り途中にあるイチョウの葉がとてもきれいです。」「焼酎も美味しい!」と楽しいコメントを頂きました。

 こちらは、『廃油キャンドル』や『ぜんざい』のふるまいなど、『飫肥城の除夜の鐘をつく会』を支えていただいた地元の皆さんです。
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 鐘つき会は午前1時に無事閉会しました。皆さんお疲れ様でした。
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 こうして2010年元旦を迎えました。新年も飫肥城下町に多くの観光客の皆さんが訪れていただき、町が元気になることを期待します。



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