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『飫肥藩所縁の地』
 次は『飫肥藩』に関係のある地を訪ねました。
 先ず、東京駅から歩いて江戸の『飫肥藩上屋敷跡』に行くことにしました。
 東京駅は工事中でシートで覆われていて、丸の内方面からは、レンガ造りの一部だけが見えていました。
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 当駅の位置は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく、建設当時はまだ野原だった丸の内側に建設されたようです。皇居の正面に設定され、丸の内口の中央に皇室専用貴賓出入口が造られたことから分かるように、国家の象徴的な位置付けであった。なお、現在の行幸通りはまだ皇居前広場まで開通していなかったそうです。

 大手町永代通り三菱東京UFJ銀行のこの辺りが、江戸時代の評定所跡です。
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 この評定所では、御家騒動など藩内部の騒動や旗本領と他領との境界線争いのような領地をまたがる裁判などを扱うところでした。『飫肥藩伊東』が『都城島津』と『牛の峠』の長年の境界争いで決着がついたのもここの評定所でした。

 そこからは、皇居方面にまっすぐ歩くと、大手門です。
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 大手門は江戸城本丸の正門で、各大名や旗本たちが江戸城へ登城する際の通用門だったため、警備も厳重であり、この大手門を入ると大手中の門がありました。 人物を要チェックする同心番所と百人番所があり、これを過ぎると大手三の門と大番所、さらに本丸書院門(大手中雀門)を通って漸く本丸にたどり着ける。このため大手門から本丸まではまだまだ長い道程があったそうです。

 そして皇居二重橋。
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 皇居前広場から正門を経て宮殿へ至る濠に二つの橋が架かっており、手前の橋が「正門石橋」、奥の橋が「正門鉄橋」でだそうです。
 「二重橋」は一般にこの二つの橋を総称して言われていますが、厳密には奥の橋を指します。  これらの橋は、通常は使用されず、新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等宮中の公式行事の際に利用されるそうです。

 そこから堀沿いに歩くと、桜田門に出ます。
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 『桜田門外の変』は、江戸で起こった維新関連の中で最も大きな事件で、大老井伊直弼が水戸浪士に桜田門外で殺害されました。

 その目の前にある赤レンガの建物が、旧法務省本館です。
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 赤レンガ棟と呼ばれるこの建物では、かつて司法大臣が執務をとっていた部屋が法務史料展示室として、一般開放されています。建物内部はもとより昔の登記簿、明治期の刑法典編纂の史料、刑事事件に関する書類とかが展示してあります。

 霞ヶ関を通り、次に向かったのが『日比谷公園』通りですが、この周辺はポーツマスで日露講和条約と締結し、小村寿太郎全権大使が帰国する時に暴動の発生した一帯です。
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 日比谷公園は、宮崎平和台公園と姉妹公園で中央には、埴輪もあります。

 そして、目指す『伊東飫肥藩上屋敷の跡』です。
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 現在は、『日本プレスセンター』(手前)と『日本新生銀行』(右側細高いビル)になっています。ここは江戸時代の外堀の内側にあり、周辺一帯は全て各藩の上屋敷跡です

次は、『霊南坂』を目指しましたが、途中に愛宕神社があります。
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 山上にある愛宕神社は、桜田門外の変で井伊直弼を襲った水戸藩の浪士達もここで成功を祈願してから江戸城へ向かったとのことです。また、この急な石段は「出世の石段」と呼ばれています。
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 ところで、日本放送協会(NHK)の前身の一つである社団法人東京放送局(JOAK)は、この愛宕山に放送局を置き、1925年の日本初のラジオ放送は、この愛宕山から発信されたものです。

 次は、『霊南坂』や江戸の『伊東家の墓地』等をアップします。

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