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 最後に、上野日暮里にある『谷中霊園』を尋ねました。
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 ここには、飫肥藩主伊東家の中では、初代祐兵公と並んで称される『13代祐相公』の墓地などがあります。
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 伊東家の墓地は霊園のJR日暮里駅よりの大きな銀杏の木の側にありましした。
 こちらが、飫肥藩代13代藩主伊東祐相公の墓石です。
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 祐相公は『振徳堂』の設置や『堀河運河』の整備で有名な藩主です。
 この墓石は、14代祐帰公の妻になった『岩倉具視侯』の義理の妹『文子』さんのです。
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 『文子』さんは15代目にあたる貴族議員『伊東祐弘』氏の母でもあります。
 こちらの伊東家墓地は、明治になって造られた墓地ですが、戦災の痕も残っているようです。現在は静に眠っておられるようで、手を合わせて来ました。
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 この『谷中霊園』には、徳川家最後の将軍『徳川慶喜公』の墓地もあります。
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 5,600平方メートル余の墓域の中央からやや西南寄りに葺石円墳状の墳墓があり、広い塀に囲まれた墓地の中央に墓石があります。
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 徳川慶喜(1837~1913)は、水戸藩主徳川斉昭の第7子で、初め一橋徳川家を継ぎ、後見職として将軍家茂を補佐しました。
 慶応2年(1866)第15代将軍職を継いだが、翌年、大政を奉還、慶応4年(1868)正月に鳥羽伏見の戦を起こして敗れ、江戸城を明け渡した。
駿府に隠棲し、大正2年(1913)11月22日に没した。

 また、『長谷川一夫』さんの墓地もありました。
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 こちらは、こじんまりとした綺麗な墓地でした。『長谷川一夫』さんは、1964年には大河ドラマ『赤穂浪士』に大石内蔵助役で主演、これが生涯の当たり役のひとつとなったようです。


 
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