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通潤橋とその周辺
 山都町のシンボル『通潤橋』です。
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 この橋は、日本最大級の石造りアーチ水道橋で、国の重要文化財に指定されています。

 そこで、通潤橋を歩いて渡ろうと思い、宿泊した『通潤山荘』から下って行くと、流出側への降り口の手前に『布田神社』が鎮座していました。
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 この神社は、通潤橋を建設した「布田保之助翁」を御祭神としています。社から更に降りて行くと「布田保之助翁」が植えたとされる数本の大きな杉が迎えてくれました。
 そこから橋の上部が見渡せますが、車道の跡らしき水溜りは凍っているようで、慎重に対岸に渡ることにしました。  
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 この橋は、1854年に肥後の石工の技術を駆使して建設されたものだそうです。橋には、三本の通水管が敷設されており、用水を流すことが目的であり、手すり等は取り付けてありません。橋の中央付近にある放水口から道の駅付近を見下ろすと足が震えます。
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 通水管の用水は、逆サイフォン(連通管)の原理によって流れます。流入側から約7mの落差で流れ落ちた水は、圧力を受けながら橋を渡り、流出側へと流れ出します。通水管に詰まった堆積物を取り除くため行われていた放水は、今では観光放水として行われるようになり、迫力ある風景を間近にできる名所となっています。 しかし、この季節は通水されておらず、流入側から直接川の方に流れ落されていました。   
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 この流入側の方から登りつめた所には、鎌倉初期に阿蘇家が築いた「岩尾城跡」があります。
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 城は、五郎ヶ滝川を利用して丘陵の上にある典型的な山城だそうです。天正年間には小西氏の領土となり、関ヶ原の戦いの後、加藤清正が領主となりましたが、慶長17年(1612年)の一国一城令により廃城になったようです。
本丸跡は、西端の最高所(標高482m)にあり、北・西・南は轟川に囲まれ、周辺斜面には同心円状の曲輪があったそうです。

 城跡を後にして、通潤橋を川下側から眺めて遊歩道を下って行くと吊り橋が架かっています。
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 その吊り橋からは、眼下に『五老ケ滝(ごろうがたき)』を眺めることができます。
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 五老ケ滝は山都町の滝のなかでも最も有名な滝で、落差50mもあり、滝壺の周りは阿蘇の火砕流が堆積した溶結凝灰岩の柱状節理が発達したようです。水量も豊富で水が落ちる様は、豪快で見事です。
 こんな素晴らしい滝が見れるとは意外でしたが、通潤橋周辺は遊歩道も整備されていて、僅か20~30分足らずで付近の様々な観光スポットが散策できます。この通潤橋を訪れるお客さんが、もっと周辺の埋もれた(?)資源を散策できるような、魅了ある仕組みをつくって欲しいと思います。
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