ここでは、常に顕微鏡が設置してありこの研究所でで命名されされ学名にもなっている「ナンジャモンジャゴケ」なども見ることができます。


こちらの研究所は、地元出身の服部新佐氏が、昭和21年3月1日日南市飫肥に設立され、明日が設立されて66年目ということです。服部新佐氏は、飫肥中学校から第七高等学校を経て東京帝大理学部を卒業し、家業の林業を継ぐため帰郷され、ここ日南市飫肥に植物研究所を設立されましたが、コケの研究では国際的にも有名で、世界三大コケ類研究所の一つといわれてます。現在世界各地の約46万を上回る蘚苔類の標本が保管されているようです。
この別棟の二階にも数多くの蘚苔類の標本が保管されています。


ところでその研究所の別棟で、第189回役員会開催されました。


今回の役員会には、この研究所の代表である岩月善之助博士もお久し振りにご出席されましたので、研究所前で南寿理事長さんや理事である吉村高知分室長さん、鈴木島田分室長さん、長谷川南九州大学長、服部新平さん、常務理事の水谷博士外の皆さんと一緒に記念撮影です。

特に、岩月善之助博士は愛知県岡崎市のご出身ですが、1958年テネシー大学大学院修士課程を終了し服部植物研究所所長を経て広島大学生物学教授を退任された後、現在国際蘚苔類学会副会長と服部植物研究所岡崎分室長をされています。隠花植物にも詳しいようですが、特に蘚類の分類と生態を研究され数多くの論文があります。2010年2月には「松下幸之助花の万博記念賞」を受賞されました。
この服部植物研究所は、現在「食べあるき・町あるき」事業にも参加され、最近、観光や旅行関係など多くの雑誌でも紹介されるようになりました。飫肥城下町にこのような大変貴重で素晴らしい研究所があることをもっと多くの皆さんに知っていただきたいと考えます。
obijyoAyumi
旧山本猪平家で呈茶のサービスをやってるよ。抹茶じゃなくて「煎茶」だよ。あゆみちゃんもいただいたけど、とってもおいしいよ。みんなきてネ。
02-26 14:30



抹茶だとばかり思って会場に行くと、「煎茶」のお点前と聞き、???。いったいどんなもの?
しかし、作法があるようで抹茶のような感じでお茶が点てられていきました。
道具も抹茶とは違うようです。割とシンプルな感じがしました。


お話によると、抹茶のように静かにいただくのではなく、お話をしながらいただくのだそうです。
ふたをしてある茶器に注がれたお茶をにおいをかいだりして、吸うようにして飲みます。そのあとお菓子をいただき
再度お茶がでるのでまたお茶をいただきます。2回いただいて終わりとなりますが、1回目と2回目ではお茶の味が
違います。
これは私の感想ですが、最初は甘くまろやかな感じの味で、2回目はお菓子をいただいたあとなので、少し渋みの
ある味で口直しをしてくれる感じがしました。
日頃お茶は飲んでいますが、こういう風にいただくとまた格別な味がしました。もちろん、私が日頃飲んでいる
お茶とは質も違うのでしょうが…。



呈茶をしていただいた皆さんです。一番下の写真が、この呈茶を主催していただいた佐野先生です。
ボランティアでしていただき本当に感謝しています。小学生の女の子二人も、一生懸命お茶を運んでいました。
このような方々に飫肥城は支えて頂いています。
観光で立ち寄られたお客様も、呈茶のサービスに大変喜んでくださいました。
今、飫肥城は春を迎えつつあります。この旧山本猪平家のほか、各施設に写真のような雛人形がお客様をお迎えし、
梅や桜の花も美しく咲いています。
皆様、飫肥城で一足早い春を迎えませんか。


そこから先に1~2分歩いて行くと、癒しの森と言われる「旧本丸跡」入口の階段があります。最近テレビやマスコミなどがよく取材に来られます。


「旧本丸跡」には、多くの皆さんが上って来て、「木立と苔のコントラストがよく、とっても癒されます!」と言っていただき、気に入ってもらえるスポットになっています。


ところが、ここの階段の踊り場の表土を取り除いてみると土石の下に踏み石が敷き詰められているのが分かりました。


そこで覆っている土石を取り除くことにしました。


未だ除去作業の途中ですが、踊り場の踏み石があらわれて、安心して上っていただけるようになりました。


この階段に行く手前の通りには、大きな「ソメイヨシノ」の桜が植えられていて、これから咲きはじめます。そうなると、もっと多くの皆さんが桜の花のトンネルを通って来られます。(写真は昨年)。

昨年のこの季節は、新燃岳の噴火による火山灰が積もり大変な状況でした。それ以外にも鳥インフルエンザや口蹄疫などの発生や東日本大震災などの影響で観光客が激減しました。
春の観光シーズンを前に、県内には野球やサッカーなど多くのプロ・アマチームがキャンプインし、飫肥の城下町にも、「雛めぐり・凧めぐり」や「食べあるき・町あるき」などで賑わうようになり、漸く回復しつつあります。
これからも、地域挙げてのおもてなしで、全国からの皆さんをしっかりお迎えいたします。
obijyoAyumi
「食べあるき・町あるき」参加店の祝土日さんで、『季節を飾るちりめん細工展』がきょうから26日まで開催されています。いろいろなちりめん細工が展示されているようです。興味のある方は行ってみてネ。?
02-24 10:43

皆さん「食べあるき・町あるき」引換券付きマップを手に持って、目指すお店に、いざ出発!


手づくりの小物品などは、とっても人気。

それにしても皆さん、賑やかで元気が良くて、気に入ったものは買い捲り。


「旧山本猪平家」では、屋敷いっぱいに飾られたお雛様の前で記念にパチッ!

現在、このような飾りが、城下町由緒施設のいたるところでご覧いただけます。


飫肥の城下町、着物が合います。出発までの限られ時間でしたが、皆さん如何でしたか?

「よかおごじょ」一行の皆さんは、この後一路鹿児島へ。
せっかく着物を着て飫肥城下にお出で頂きましたが、十分満喫していただくには時間が足りませんでした。 皆さんにお話を伺うと「飫肥は、町並みがきれいでとっても気に入りました。今回見学できなかった魅力のある場所がまだ多くあるので、次回はゆっくり来てもっと町並みの散策を楽しみたい!」とのこと、またのお越しをお待ちしています。

「着物供養」が行われた「五百禩(いおし)神社」には、着物姿の皆さんが神社の本殿での供養行事に参加されていました。


この「五百禩神社」は、もともと飫肥初代藩主伊東祐兵(報恩公)のために建てられた「旧報恩寺」で飫肥三大寺の一つとされていたものです。この神社の裏のには伊東家累代の廟所があり、奥まった左隅には、ローマ少年使節伊東満所の母「町の上」の墓石もあります。明治五年に廃寺となりました。 しかし地元の士民などが、旧君累世の遺徳が絶えてしまうことを哀れみ、寺跡に神社を創建したものだそうです。社名は、最後の藩主であった伊東祐相公が、伊東の祖「工藤祐経」六世の孫「伊東祐持」が日向に下り、治所を都於郡(後の「都於郡城」)に建てて五百三十五年経ていたので「五百禩神社」と名付けたらしい。
続いて会場を「振徳堂」に移して「花朝祭」が華やかに行われました。

堂内の「素読の間」には、懐かしい着物をはじめ様々な色や柄の着物が展示されてます。


また庭園では、野点のサービスも行われています。


一足先に春が訪れた豫章館庭園では、青空の下でゆったりした時間が流れて行きます。


お陰で、私も美味しいお抹茶と茶菓子のおもてなしを受け、美味しくいただきました。



野点の上手では、岩や桜の木などで拵えられた見事な「酒谷川の花筏」が会場を演出してくれました。


この後、市外からお見えになった皆さんや「着物を着てさるく会」など地元の皆さんがご一緒に記念撮影。

ところで、この「きもの供養」主催者「きもの三昧匠 きぬたや」のご主人から、「着物姿で『きもの供養』を行うことは、タンスに眠っている着物を着る機会であり、虫干しにもなります。 昔花見の席に小袖を廻らして、宴をするゆかしい遊びがあったそうで、虫干しを家事としてでなく家族や友人などと着物を鑑賞しながら香を聞き、茶を点て、弁当をひろげる楽しい虫干し行事したらどうですか。」と言うもっともなお話を頂きました。
この後、鹿児島市から団体でお見えになった「よかおごじょ」の皆さんは、着物を着て飫肥の城下町の散策に向かわれました。この様子は次に続きます。


店内には、ちりめん細工をはじめ様々な手づくりのの小物や民芸品が展示されています。


市内外からのお客様もお見えになりますが、ちりめん細工の中でも人形、花、動物、アクセサリーなどユニークで可愛い小物がとっても人気です。
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現在、飫肥城下町では、「お雛さま飾り」や手づくりの「さげもん飾り」など城下町保存会が管理する由緒施設や商店でご覧になることができます。
しかし、ここに展示してある殆どしてものが、店のオーナー「蓑部さん」のお友達によるアイデアを駆使した手づくり作品です。お店の皆さんは、とっても親切で、しっかりしたおもてなしをされています。この「祝・土・日」というお店は飫肥城からは少し離れた稲荷下橋の近くにあります。それでもこの時期、一度は、立ち寄って見る価値はあります。
※「祝・土・日」では、2月24日(金)~26日(日)の3日間、「季節を飾るちりめん細工店」が開催されます。ぜひこの機会にご覧ください! (お問合せ:090-5470ー1133)
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先ず、飫肥の城下町の歴史や「食べあるき・町あるき」の説明を聞かれてから城内の見学。


その後、現在開催中の「お雛さま飾り」巡り。


そして「癒しの森」と「しあわせ杉」のパワースポット。


既に満開に近い桜「日南寒咲一号」を見てびっくり!


続いて、飫肥城下町の「食べあるき・町あるき」の体験。メイドイン飫肥のおばちゃんの「お札入れ」や揚げたての「飫肥の天ぷら」、「南天箸」、「羽身のとむら焼」、こだわりの焼酎「匠蔵」などをゲットされたようです。


そして極めつけは、鯉の泳いでいる水路でハートマークの鯉を発見。これで飫肥の概ね60%程度を散策出来たのでは。


大手門前で記念にパチッ!


ところで河原畑部長さん(下写真右から二人目)とは、昨年6月1日に熊本市で開催された平成23年度日本観光振興会九州支部による観光振興事業功労者表彰式と情報交換会でお世話になっており、8ヶ月振りにお会いしました。
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初めての飫肥城下町の由緒施設等の見学や「食べあるき・町あるき」による散策、如何でしたか? まだまだ多くの見どころ食べ処、楽しみ処もありますが、飫肥の最大の資源は、何といっても地域を挙げてのおもてなしです。次回はこちらにご宿泊いただき、飫肥だけでなく日南や県内の魅力ある地域巡りをされ、今後のご指導の指針にしていただきたいと思います。
obijyoAyumi
きょうは、人力車の乗車体験をボランティアの方がされています。料金はもちろん無料です。遊びに来てね?
02-19 12:58
泰平踊りの公演が飫肥城内で開催されました。




泰平踊りは、飫肥藩主伊東氏が江戸中期、上方の「歌舞伎踊り」と地元の「盆踊り」を組み合わせ、
それに柔術・弓術・相撲など武芸18般を織り込んだ踊りとされ、8月14日の盂蘭盆会(うらぼんえ)で
町方で踊られていたそうです。
当時、武家方では「三京踊り」が、町方には「飫肥歌舞伎」「大奴・小奴」という芸能が流行していたようです。
その後、一時途絶えていたそうですが、日露戦争の勝利を祝って復活し、現在の泰平踊りとなっているようです。
三味線や太鼓、尺八の伴奏で唄(うた)が歌われ、20数人の踊り手が「出端」で入場し、
「本歌」で円陣となり、優雅で荘重な踊りを繰り広げます。



三味線や太鼓に合わせて入場してきた踊り手が、勇壮な中にも優雅さをにじませた踊りを踊り始めると
城内ということもあってか、江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気が漂います。
最後は奴の踊りでしめられ、約10分の踊りが終了しました。
現代の音楽や踊りと比べると本当にゆっくりとした時間が流れます。
見学の観光客の方々も興味深く観ておられました。
泰平踊りの公演は、だいたい月一回程度飫肥城にて行われます。くわしい日程につきましては
飫肥城下町保存会のホームページで確認されるか、お電話ください。

近づいて見ると、ホウキや塵取りを持って清掃活動に取組んでいました。石垣の雑草を取り除いている子ども達もいます。


聞いてみると、飫肥の小・中学生による自主的なボランティア活動だそうです。
一方、こちら飫肥藩の学問所である「振徳堂」には、そろいのベストを着用した子ども達がやってきました。

子ども達は、それぞれ雑巾を持参して、冷たい水で洗いながら、振徳堂内の「素読の間」の座机や廊下などの拭き掃除を始めました。


この感心な子ども達は、隣町の宮崎市清武町内にある3つの小学校から自主的に参加したとのこと。
清武町は、江戸時代、日向国宮崎郡清武郷と呼ばれ飫肥藩の一部でした。その清武郷が輩出した江戸時代の偉大な儒学者「安井息軒(そっけん)」。その息軒が父滄洲とともに教鞭を揮ったのがこの「振徳堂」です。

子ども達のお陰で、飫肥城周辺や振徳堂などが、すっかりきれいになりました。
この清武の子ども達が着用しているベストの背中には「たけのこ」と記されていました。子ども達は、今朝早く清武町を出発し飫肥「振徳堂」の清掃活動にやってきたということです。この後、飫肥城歴史資料館も見学したようです。
ところで「安井息軒」の業績は、近代漢学の礎を築いたとされ、江戸期儒学の集大成と評価されています。「振徳堂」を出たあと、江戸に移住し私塾「三計塾」を開きます。そこでは、明治の偉大な外務大臣陸奥宗光など多くの逸材をその門下より輩出しています。
その「三計塾」は、息軒の有名な言葉 「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり。」から由来したもの。
飫肥藩が取り持つ飫肥や清武の子ども達のこのような活動は、まさに「一生の計は少壮の時にあり」ではないか。
きれいになるのは、「飫肥城」周辺だけでなくこのような「子ども達の心」です。


引越し先は、飫肥城下の由緒ある数箇所の屋敷です。中でもこの屋敷は、城下で最も格式の高い「豫章館」、明治の初めには知事公舎になった屋敷です。


お分かりだとだと思いますが、お越しになった皆さんは、ご覧のお雛様のご一行です。


このお雛様の皆さんは、長い間「油津地区」で静かに暮らされていたようですが、縁あって飫肥城下へ引越しされることになりました。

お供に大きな凧もご一緒です。それにしても「ようこそお越し頂きました」


早速、屋敷には多くのお客様がお見えになり、豪華なお雛様と凧をご覧になって感激されていました。

お越しいただいたご一行は、既にこちら住んでいるお雛様方とも顔合わせをされ、ここ「豫章館」だけでなく、飫肥城下の数箇所の屋敷に分かれて弥生の月まで、ご一緒に滞在されます。
ところで、お雛様の皆さんから「この機会に、多くの皆さんにお会いしたい!」とのお言葉をいただきましたが、近所の皆さんだけでなく、城下内外からの様々な客さんに会えるのを楽しみに待っていらしゃるようでした。
obijyoAyumi
2,3日続いていた雨が上がりました!飫肥城施設内に、またまたお雛飾りが増えました!ただいま飾り付けの最中です!
02-16 14:01
今週の「教えて! ふるさと自慢」は「宮崎ウィ―ク」で宮崎の情報が発信されています。2日目の14日(火)は「日南の旅」でした。こちら→『ぐるっと8県九州沖縄』をご覧下さい。

NHK宮崎放送の宮崎香子(きょうこ)キャスターが、日南の旅をして飫肥城下町の「食べあるき・町あるき」や日南海岸での「冬でもできるサーフィン」を紹介。


「食べあるき・町あるき」では、地元でつくられる「飫肥杉製ハガキ」と郷土料理「厚焼き卵」が紹介され、サ―フィンでは自らが挑戦し、上手に乗りこなししていました。短時間の練習で見事な腕前です。よく頑張りました!
ところで宮崎キャスターは、飫肥城下町の魅力のスポットを事前チェックするため、2週間前に下見に来られました。
こちらが、テレビで紹介された「飫肥杉はがき」の交換できる「京雑貨 岡本商店」の皆さん。そして右の写真は苔の研究では、世界でもトップクラスの「服部植物研究所」。


「服部植物研究所」では顕微鏡が常にセットしてあり、拡大されたいろんなコケを覘き見ることができます。そしてこの研究所の創設者「服部新佐(しんさく)博士」は、日南市の名誉市民にもなっています。
そして国の登録有形文化財の「旧高橋源次郎家」。孫にあたる料理研究家「堀江泰子先生」もここで幼年期に過ごされました。右は、お馴染みの「鯉の泳ぐ水路」、頭の鱗がに赤いハートマークの鯉を見つけると幸運とのこと。


こちらは「八幡神社の大楠」、県の銘木にも選定されている隠れた観光スポットです。
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そしてこちらが、今人気の癒しのパワースポット「旧本丸跡」と幸せのパワーがもらえる人気上昇中の「しあわせ杉」。


あっ そうそう、こちらは宮崎キャスタ―が興味を持った日南名物「魚うどん」です。「ギャラリーこだま」さんでご馳走になりましたが「とっても美味しい!」と気に入っていただきました。 またここでは、「日南一本釣りかつお炙り重」という今話題の食事もいただけます。


今回の放送では、福岡放送局の野尻キャスターと一緒に宮崎の魅力をしっかり紹介していただきました。

如何ですか、宮崎には自慢できる多くの観光資源やスポット、食べ物、人、文化、歴史などが盛り沢山です。
しかし、限られた放送時間なのでその一部分しか紹介されていませんが、機会があれば今後もぜひ紹介していただきたいと思います。
またこの時期の県内各地は、プロ野球やプロサッカーチームがキャンプインして賑わっています。
ぐずついている天気も明日からは、回復するようです。 県南の山桜も開花をはじめ、いよいよ春の観光シーズンも到来間近です。

珍しい乗物に周りの皆さんは、興味津々。


本町商人通りまで下りていくと、「食べあるき・町あるき」マップを持った皆さんを近くのお店まで案内です。お客さんの感想は「乗り心地も思った以上に良く、とっても楽しい!」とのこと。

この「トゥクトゥク」は、タイやラオスなどでタクシーとして親しまれている3輪自動車だそうです。3輪車なので狭い路地でも快適に走ることができるそうです。車の語源ですが、走行する時のエンジンの音が「トゥク、トゥク」と聞こえるところに由来するようです。
現在、青島周辺では、商工会議所がタイから2台を取り寄せ、観光客の足として活躍しているそうですが、運賃は無料で乗り降り自由とのこと。
飫肥でも車体を木目調にしてトゥク、トゥク、と走り回ると、城下町の散策がもっと楽しくなるでしょうね。

一方こちらは、お雛様だけでなく手づくりのさげもんなど色んな飾りが楽しめる平山家。

毎年この時期に飾っていただいている近所のグループです。ありがとうございます。

ところで、現在飫肥城下町の由緒施設や商店などで取組んでいる『お雛さま飾り』ですが、今年は、見事な手づくり凧も一緒に展示してあります。

こちらは「豫章館」に展示してある、4畳もあるだるま大凧。


これらの凧を作ってこられた、地元の凧作り名人「御手洗さん」です。

お雛様と凧飾りは、飫肥城下町の由緒施設や商人通りなどで3月31日まで飾り付けられています。


こちら『日南市観光情報ブログ』 『観光日南の旅』 『雛凧ブログ』 『日南商工会議所ブログ』などでもアップしていただいています。皆さんのお越しをお待ちしています。
obijyoAyumi
昨日はとってもとってもたくさんのお客様が飫肥に来てくれてとってもにぎわっていましたよー!旧高橋源次郎家での交換商品の【あゆみちゃんかりんとう】大好評で品切れになっちゃいました…ただいま代替商品にて対応中です…申し訳ございません
02-12 12:48


こちらは、3月18日(日)開催予定の『宮崎アースライド2012』の下見のために、宮崎から自転車に乗って来られた皆さんです。「宮崎市から飫肥までは2時間30分~40分で来ました。これからまた自転車で宮崎市まで戻ります。」とのこと。『宮崎アースライド2012』では、私どももお見えになる皆さんをしっかりおもてなしをしてお迎えします。詳しくは『アースランド2012』をご覧下さい。既に300名以上がエントリーされているとのこと、楽しみにお待ちしいます。

一方こちらは、茨城県からお見えの市長さんです。皆さんは、潮来市や鉾田市の市長さんで現在宮崎市でキャンプしているプロサッカーチーム「鹿島アントラーズ」の激励にお見えになったそうです。その途中にこちら飫肥の城下町に足を運んでいただき視察をされたようで、ありがとうございます。こちら『鹿島アントラーズ』もご覧下さい。
ところで、皆さんの住んでいらっしゃる所も、先の東日本大震災では甚大な被害を受け、現在市民の皆さんと一緒になり復興に向けて頑張っていらっしゃるとのこと。こちらも昨年は、新燃岳の噴火や鳥インフルエンザ・口蹄疫などで大変な被害を受けましたが、漸く復興しつつあります。しかし東日本大震災は、それを遥かに上回る未曾有の甚大な被害、復興に向け共に頑張りましょう。

城内の桜も咲きはじめましたが、着物を可愛く着こなしている2人の娘さんが、城内を散策されていました。

飫肥城にぴったしの装いでしたので、写真をお願いしたところ「城内はとても癒されますね~」とコメント頂きありがとうございました。
ところで、現在飫肥城下町で取組んでいる『ひなさまと凧の飾り』ですが、明日紹介します。
obijyoAyumi
飫肥城周辺の桜や梅がちらほら咲きはじめています♪週末には、ちいさな春を感じながら、食べあるきやお雛めぐりはいかがですか?
02-11 11:19
桃山時代の気風を今に伝える門ですが、昨年7月に約1年半をかけ往時の壮麗な姿に修復されたとのこと。


唐門の前の参道は西大門まで桜が植栽されていましたが、門内からは両脇にカラフルな幟が歓迎してくれました。


さらに参道を進むと右側に醍醐天皇の菩薩を弔う「五重塔」が建っています。国宝に指定され高さ38m、相輪だけでも13mあり塔の3分の1を占めているとのこと。

また参道を挟んで反対側には醍醐寺の中心となる国宝の「金堂」があり、本尊の薬師如来座像が安置されているとのこと。さらに参道を奥に行くと、池の向こうに朱塗りの弁天堂が見えます。ここは紅葉の季節の人気スポットだそうです。


最後に向かったのが、山科にある「勧修寺」。この寺は、平安中期の昌泰3年(900)醍醐天皇が、母(宇多天皇の妃)の菩提を弔うため創建したと伝えられています。


書院前の庭園を占めるのは、樹齢750年と言われる偃柏槙(ハイビシャクシン)です。庭一面を這うように生えています

その中に顔を覗かせているいる灯篭は、水戸黄門さん(徳川光圀)の寄進とされるもので、「勧修寺灯篭」と云われるものです。


さらにその手前には、江戸時代に京都御所から移植され「臥龍の老梅」と呼ばれる白梅あります。
樹齢約300年とされる梅の木は、一代目(親木)は根だけ残り、二代目(子)は枯木になり、三代目(孫)が寄り添うように元気に成長している「めでたい梅の木」だそうです。
ここの庭園は勧修寺氷池園と呼ばれ、その中心を占める池は「氷室の池」です。

平安時代には毎年1月2日に池に張った氷を宮中に献上して、その厚さによって五穀豊穣を占ったそうです。また夏になるとこの池には、きれいな蓮の花が水面いっぱいに咲くそうです。
obijyoAyumi
きょうも寒いね~、皆さん風邪を引かないようにね。きょうはちょっとあったかくなることがあったよ。飫肥城に桜の花が咲きました! 松尾の丸の階段の手前ですみんな見においでよ。 http://t.co/4ZNbpVHp
02-09 13:21



毎日寒い日が続き、春はまだまだ先と思っていたところ、松尾の丸の入り口に植えてある「日南1号」という桜が
美しい花を咲かせていました。
例年はもっと早い時期に咲くのですが、いつもより寒い冬に桜も咲くに咲けなかったのでしょうか。
まだ咲いている花は一部ですが、これからどんどん咲きそうです。




小さな蕾が桜の木全体をおおい、ピンク色に染まっています。空の青と桜の花のコントラストが
とっても美しいです。
観光に訪れた方々が、早咲きの桜にびっくり。しばし眺めたり、写真に収めたりされていました。


日南1号の対面には「河津桜」も一輪花を咲かせています。他の花も蕾の状態ですが、少しづつ膨らんでおり、
もうすぐたくさんの花が咲きそうです。
日本は大寒波で各地で大雪の被害がでていますが、季節はまちがいなく春に向かっていることがこの桜を見ると
わかります。
飫肥城もまだまだ寒いですが、桜の花を見ると本当に春の気配を感じ気持ちがウキウキしてきます。
皆さん、飫肥城に春の気配を探しにいらっしゃいませんか。

参道で聞こえてくる会話の殆どが、中国語・韓国語・その他東南アジアの言葉です。出会う観光客の7割近くがどうも国外からの皆さんのようです。


昨年11月に来た時に撮った同じ所から写真を撮りましたが、眺めはすっかり冬の様相でした。その時は修学旅行生など日本のお客さんがも多かったのですが、今回は外国人観光客がもっと増えているようです。


続いて伏見稲荷大社にも足を伸ばしました。この大社は、五穀豊穰や商売繁盛などの全国稲荷神社の総本宮です。


ここの目的は千本鳥居。「本殿」の左手奥側に本殿造営の時に祭神を一時移し祀る「権殿(かりどの)」が建っており、「権殿」の横から稲荷山の方へ登る石段があります。


この石段から「稲荷山御神蹟参拝」の始まりで、稲荷山中に祀られている数多くの社、神蹟をめぐり、お詣りする参道です。その参道には「千本鳥居」と呼ばれる朱塗りの鳥居が、まるでトンネルのようにびっしり建てられています。

鳥居の回廊は山頂まで4kmも続き、その数は千本でなく1万基にも及ぶそうです。
参道を昇る時には分かりませんが、鳥居の裏に奉納者や建立日が記してあり、降りるときに見えるようになっています。それにしてもここの鳥居の数は、世界ギネスものだと思います。
この後、明治維新の立役者、坂本竜馬ゆかりの「寺田屋」の前を通りました。


ここの見学はしませんでしたが、寺田屋は現在でも宿泊ができるそうで、騒動の際の刀傷や後の竜馬の妻おりょうが駆け上った階段などが残されているそうです。時間がなく立ち寄れなくて残念でした。
続いて、10円硬貨の図柄に採用されているお馴染みの「平等院」。

池の傍に建てられている「鳳凰堂」は平等院の本堂に当たり、もとは「阿弥陀堂」と呼ばれていたようです。これが「鳳凰堂」と呼ばれるのは、左右の翼廊、尾廊が羽を広げた架空の鳥「鳳凰」に似てるためという説があります。


中堂の屋根の上両端には、その「鳳凰」の像が取り付けられています。

京都宇治と言えば、源氏物語のゆかりの地です。源氏物語は11世紀初め、平安時代半ばに書かれた全五十四帖からなる長篇小説です。三部構成になっており、第一部・第二部は平安京が舞台ですが、第三部の最後の十帖は、宇治が主な舞台となっているため、「宇治十帖」と呼ばれています。
宇治市では、源氏物語が記録の上で確認された千年目を記念して、平成20年に「源氏物語ミュージアム」をリニューアルされたようです。


館内では、模型や映像により光源氏や「宇治十帖」の世界を 分かりやすく紹介するほか、源氏物語に関する文献、史料などが展示されています。


情報ゾーン(無料)と展示ゾーン(有料)から成り、展示ゾーンの最初の「平安の間」では、装束や調度品をはじめ、「貝合わせ」「囲碁」「双六」など貴族の遊びや、平安時代の年中行事が季節に合わせて展示されていました。この施設は、宇治川を挟んで平等院の対岸にある宇治上神社の近くにあります。
いつも思うのですが、このような施設は時間をかけてゆっくり見学すべきですね。

ここで先ず感激したのは、総門から中門への参道の両脇にある大刈込の生け垣。主な樹種は椿のようです。
それに、寺周辺の庭を含め、山中まで木の葉一枚落ちていないような徹底した庭園の手入れ。


さらに、庭内散策の遊歩道の竹で作られた手すりの見事さ。この竹は「孟宗竹」よりかこちらで言う「ガラ竹」の太いものではないかと思われます。


その手すりを伝って上った展望所からの銀閣・本堂・庭園などの眺めも格別。

この庭の徹底した手入れの技術と管理方法は、私どもも見習うこと大です。
続いて向かったのが京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の大本山「南禅寺」。


開山されたのは正応4年(1291)で、亀山法皇の離宮を寺としたのが始まりのようです。
南禅寺の方丈は、昭和28年国宝に指定されています。ここには小堀遠州の作と伝えられ「虎の子渡し」と呼ばれる有名な古山水の庭園があります。これは石を親虎と子虎に見立て、白砂で川・水をイメージさせ虎の親子が川を渡っていく様子をあらわしているそうです。


また、東側にある滝の間では清涼の滝を眺めながら抹茶を味わうことができます。
境内にある三門は、荘厳な構えで「天下龍門」と呼ばれ、日本三大門の一つに数えられています。大坂夏の陣に倒れた戦没者を弔うため、寛永5年(1628年)に藤堂高虎が再建したものだそうです。


三門の廻り縁からは、京都北西部方面のすばらしい眺めが見渡せます。ところであの石川五右衛門がこの山門から「絶景かな」と叫んだため、発見され捕まったという逸話もあります。
そして南禅寺の南側境内の美しいアーチを描くレンガ造りの水路閣。琵琶湖疏水の設計者の田辺朔郎氏が、古代ローマの水道橋を手本に設計し、明治21年(1888年)に建設されたものとのこと。この水路閣は現在でも水を運ぶ疎水として活躍しているそうです。

三門の手前で、「この門を 入れば 凉風 おのづから」 杉洞 という歌碑を見つけました。

石碑の横の案内板には
「杉森永杉洞老師自筆の句
師は佐賀県伊万里市本派円通寺僧堂師家
杉洞は俳号・ホトトギス派、九州での重鎮
同人であり、選者で門弟が全国に三千人といわれる
石は熊本県白髪岳から運ばれたもの
重さ15トン
昭和51年11月23日建立」と記されています。
森永杉洞(1900~1975)は伊万里市の禅寺円通寺の住職で俳人でした。南禅寺の管長となる資格を持ちながらこれを断わり、「ホトトギス派」の九州の重鎮として伊万里市で生涯を送ったとのこと。ちなみに「ホトトギス派」はあの正岡子規の流れを汲むものです。
いずれにしてもこの石が、九州熊本県球磨白髪岳から運ばれたものとはビックリ!


この日は、京都の町を巡る旅です。
やってきたのは、東映太秦映画村。 門構えはどちらも同じようですが、右の写真の門は二条城です。映画村の正門と二条城の東大手門は、全く同じ門に見えます。


それもそのはず、「東映城大手門」は、二条城大手門をモデルに設計された、映画村の看板施設ですが、撮影時は立派なオープンセットになるようです。
映画村内では、丁度時代劇『濃姫』の撮影中で、立ち入り禁止になっている通りがあり、スタッフに「何の撮影か?」聞くと時代劇『濃姫』とのこと。


濃姫は、美濃(岐阜地方)の戦国大名「斎藤道三」の娘で後に織田信長の正室になった人物です。
「芝居小屋中村座」に入ると「ガマの油売り」の手品(?)の最中で、小学生たちが不思議そうに見ていました。
次に後行ったのが、徳川家康が将軍上洛の際の宿泊所として西日本の諸大名に築城を貸して築いた「二条城」、しかし二の丸御殿内の撮影はできません。


ここで注意したのは、庭に張り出した二ノ丸御殿の外縁です。その厚さからは、何百年もの年を重ねた歴史を感じ取ることができます。またこの外縁から続く「キュッキュッ」と音がする「鴬張り」廊下は知ってのとおりです。
続いて訪れたのが、京都観光の定番「平安神宮」。

応天門を潜ると、大勢の人が集まって何かの式典が行われている様子。


どうも節分行事「大儺之儀(だいなのぎ)」のようです。面(鬼ではないようです)を付けた人物を先頭に、何やら大声をあげて練り歩きはじめ、応天門の入口で外に向かって鬼祓いをしているようです。面をよく見ると目玉が左右2個づつあります。


説明書によると、平安神宮の節分行事「大儺之儀(だいなのぎ)」は、古くは「追儺(ついな)」あるいは「鬼やらい」と言われ、平安朝の頃より朝廷の祓の行事として、旧暦正月の前日(現在の立春の前日)、節分の日に行われていたものだそうです。 平安神宮での行事は昭和49年に復元され、現在では平安朝当時の「追儺式」が式次第、作法、祭具、衣裳にいたるまで綿密に再現されているとのこと。 この日は終日、古式のままに行う大儺之儀をはじめ、年の節目にふさわしい祓いの行事が繰り広げられたようです。
次に向かったのは、銀閣寺です。

これは、コークスです。コークスといえば、石炭を乾留した燃料のことですが、このコークスは、木くずや茶かすなどの植物性廃棄物を再利用して製造された「バイオコークス」と言われるものです。
そのバイオコークスの研究と製造を行っている大阪府森林組合「バイオコークス加工場」の見学に行ってきました。

この工場は、高槻市の山間部にあり、昨年3月に事業費5億円で完成したとのことですが、既にバイオコークスの製造を行っています。


工場は、原料受け入れた後の2次粉砕、乾燥、圧縮、油圧装置など殆どがコンピューターで管理されています。


現在、日産3.5トンだそうですが、目標は日産5トンを目指しているとのこと。

その隣には、森林伐採地等から運び込まれた木切れなどを一次粉砕(ラブグラインダー)して原料のチップをつくる作業場が隣接されています。


この「バイオコークス」は、近畿大学理工学部井田教授のグループによって開発されたもので、その指導を受けて大阪府森林組合が、本格的に製造を開始したものです。
大阪府森林組合は、森林伐採などによって発生する間伐材などの高付加価値化を模索し、以前からペレット(木質燃料)化によるバイオマスの研究・製造を進めてきました。しかし生産コスト等が高く、採算面で大きな問題となっていました。このため、更なる利用収益を目指して着目したのが、近畿大学理工学部の井田教授が開発したバイオコークスです。
バイオコークスは、檜、杉などの間伐材に限らず、あらゆる木質系バイオマスを原料にでき、石炭コークスの代替エネルギーとして鋳鉄・鋳物業界などで大きな需要が見込まれています。また、バイオコークスは植物由来のエネルギーであるため、利用時のCo2排出量はゼロカウントされ(カーボンフリー)、地球温暖化防止に寄与できるとのことです。
石炭コークスは、現在でも主力として活用されている固形化燃料で、主に「製鉄産業」にとっては欠かすことのできない燃料です。
また、現在多くの自治体が、ごみ焼却場の燃料に、コークスを使用しており、近年のコークス価格高騰が、自治体の財政を圧迫しています。
このようにコークスは、これからも必要不可欠な要素となものですが、その「石炭コークス」に取って代わる燃料として期待されているのが、「バイオコークス」なのです。


この「大阪府森林組合」と私たちの「南那珂森林組合」は、平成14年度に全国で初めての友好組合の締結を交わしています。その後、両組合間で職員を派遣してそれぞれの事業研修を行うなど交流を図っています。南那珂森林組合でもバイオコークスについて、これまでも何回となく技術面の視察交流など行っています。今後「南那珂森林組合」でも組合経営の将来を見据えた研究をしなければなりません。
obijyoAyumi
飫肥城施設のお雛飾り、すべて完成しました!今年は例年よりも多くの施設に飾ってあるので見ごたえがありますよ~♪
02-05 10:22


会場には大勢の皆さんが詰めかけ、年長さんの和太鼓の演奏によるオープニングで始りました。

我が子の可愛い演技中は、カメラやビデオ収録に必死です。


年長さんになると踊りもしっかりしていて、如何にもお兄ちゃん・お姉ちゃんという感じです。
演技の指導から会場準備まで、子どもたちをこのように教える保母さん・関係者の日ごろのご努力が伺われます。お疲れさまでした。
飫肥城内にある飫肥保育園の側には、飫肥の藩校「振徳堂」があります。この藩校では『小村寿太郎侯』も学びました。侯が信条とした「誠」「真実」の精神は、ここで養われ育まれたと言われます。飫肥保育園の子どもたちも、このような大人に育って欲しいものですね。
obijyoAyumi
きのうは寒かったネ。飫肥城もいろんなところがこおちゃったよ。でも、寒い地方にくらべたらとっても暖かいのかな~。きょうはきのうより暖かいので町あるきの大丈夫みたい。
02-04 10:21