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松山散策Ⅱ
 「松山散策Ⅱ」として道後温泉まで足を伸ばしてみました。
 道後温泉本館は、周囲を近代的なホテルや商店街に囲まれた中にあり、三層楼のどっしりした風格のある建物です。建築されたのは明治27年ですが、日本三古湯(にほんさんことう)の一つで、最も古い温泉だそうです。
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 こちらは道後温泉本館の後ろ(東側)から写したものです。さすが国の重要文化財に指定されているほどのことはあります。現在の本館入り口は西を向いていますが、明治時代には北側に入り口があったのだそうです。
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 本館の屋根の最上段には、道後温泉を発見したとされる白鷺が留まっています。白鷺は道後温泉のシンボルだそうです。。
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 これは、足を痛めた白鷺が、この地に飛んできて流れ出ている湯に足を浸けたところ、傷が癒えて元気になったという「鷺伝説」に基づくものです。
 道後温泉は年中無休(年末大掃除を除く)で朝6:00時から夜22:00時まで営業されています。浴場は二種類あり、1階の大浴場を神の湯、小さい方を霊の湯といい、浴槽は花崗岩でできています。
 入浴料金は神の湯 2階 800円から霊の湯 3階個室 1,500円など湯や場所によって違います。子ども料金は約半額ほどです。そして、入浴時間は1時間以内というのも決められています。
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 また入浴しなくても新殿など観覧できます。こちらは、料金大人 250円、子ども120円 で朝6:00から21:00(札止21:00)までですが、 案内者がいて楽しく案内していただきました。ただし館内の写真撮影はできません。
東側には皇室専用の玄関『御成門』があります。三層になった屋根は重厚感溢れる造りです。その奥には、明治32年に造られた皇族専用の浴室『又新殿(ゆうしんでん)』があり、見学することができます。南側高台にある湯神社は、景行天皇が皇后・八坂入姫命とともに当地に行幸した際、道後温泉の守護神として、鷺谷の大禅寺の前に創建されたと伝えられています。 
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 こちらは「伊佐爾波神社」、135段の石段を登ると社殿がそびえ建っています。もともと当神社は、河野氏が湯築城の鎮守として、今の地に移したといわれ、その後、加藤嘉明が、松山城の固めとして八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久の祈願所となったとそうです。
 現在の社殿は、松山藩松平第三代藩主の定長が、将軍から命じられた流鏑馬を成功させたお礼として建立したもので、その様式は大分県の宇佐神宮、京都の石清水八幡と並んで日本を代表する八幡造といわれます。
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 そしてこちらの湯釜は、道後温泉本館が竣工する明治27年(1894)まで道後温泉の湯の湧出口に使われていた湯釜で現存最古のものだそうです。昭和25年(1950)道後公園(湯築城跡)北側に移され「湯釜薬師」と呼ばれています。
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 宝珠の頂上に湯の湧出口があり、上部正面には薬師如来像、その周囲には、享禄4年(1531)、河野通直が天徳寺徳応禅師に撰文を命じた温泉記が13行彫られている。何故か、釜の隙間には銭がびっしり差し込まれていました。

 ところで道後公園(湯築城跡)は、直径約350mのほぼ円形状で、中世伊予の守護河野氏の居城として、14世紀前半から16世紀後半にかけての250年間存続した城跡だそうです。
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 外周は湯築城の外堀で囲まれ、丘陵部を取り巻くように内堀が巡っています。この公園は、地元住民や観光客の散策や休息の場として利用されているほか、桜の名所となっており、多くの人が花見などに訪れ広く親しまれているそうです。

 あっ!「坊ちゃんカラクリ時計」が、動きはじめる時間が近づきましたので、見に行って次回紹介します。
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