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西洋の古城
 ヨーロッパの古い城や寺院などを巡ってきました。
 最初に訪れたのは、はるか古代より交易の水路として利用されてきたライン河をクルーズによって下り、河畔に数多く残る当時徴税のために築かれた城塞などです。
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 乗船したのは、リュデスハイムという小さな町。すぐに左岸にあるビンゲンという町のシンボルとなっているクロップ城が最初に現れました。
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 城が築かれたのは、1282年とのことですが、その後戦争で爆破されたようです。1879年に再建され、現在は町役場と郷土史博物館として利用されているそうです。
 間もなく、対岸にエーレンフェルスの城跡が見えます。
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 マインツ大司教が1220年に築城したとされ、対岸の河中にあるねずみの塔とともに長年マインツ大司教の徴税用の城となっていたようです。しかしドイツの混迷の時代と言われる三十年戦争以降は包囲と占領が繰り返えされ、1689年にはフランス軍により破壊されたとのこと。現在はヘッセン州が管理しているそうです。
 こちらが、悪徳領主を食い殺したと言われる伝説のねずみの塔。
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 この後船は、左岸にライヒェンシュタイン城やハイムブルグ城を眺めながら下っていきます。
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 ライヒェンシュタイン城は盗賊団の棲家になったことがあるようです。ハイムブルグ城は、ニーダーライムバッハ町のすぐ上の高台に建っており、ライン川から見ると町と一体化しているように見えます。

 その下流のネッカー川沿いにホーネック城が見えてきます。20世紀半ばまでドイツ騎士団の城でしたが、現在はドイツ騎士団が開墾したルーマニアのズィーベンビュルゲン救済協会の所有で老人ホームやルーマニア郷土資料館になっているそうです。
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 シュタ―ルエック城は、1689年にフランス軍によって爆破されましたが、1925年から27年にかけてその古城は元どおりに修復されました。現在、城の一部がユースホステルとして利用されとても人気が高いとのこと。、
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 やがて河の右岸にグーテンフェルス城が見えきますが、その前の中洲に建てられたプファルツ城が目の前を通り過ぎていきます。
 グーテンフェルス城は、当初はカウプ城と呼ばれ、13世紀初頭ごろに神聖ローマ帝国の命令で築かれたといわれている。その後、カウプの町とグーテンフェルス城で、ライン川を通過する船に通行税を課していたが、より厳しく通行税を取り立てるために、カウプの町の目の前の中洲に、1326年、五角形の塔の建築したようです。
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 このプファルツ城は、もともと戦うためではなく、徴税のための城であったため、その後も戦闘は経験せず、徴税基地としてのみ機能していた。
 1866年の普墺戦争以後は、ライン川での徴税の必要もなくなり、1960年代までライン川航行の船のための信号塔として利用されたそうです。

 その対岸オーバーヴェーゼルの山上には、シェーンブルク城がそびえています。この城は12世紀に建築された後、帝国の公使に与えられ、17世紀にフランスのルイ14世の軍に破壊されるまでその所有が続いたそうです。  
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 シェーンブルクとは、美しい城という意味だそうです。現在は、古城ホテルになっているようです
 このようにドイツ各地には、様々なに城塞が見られますが、中世ローマ帝国の中心地だった、ライン河畔は、特に数多くの城塞が残っておるようです。

 そうこうしている内に、ローレライの曲が響いてきました。着地地ザンクト・ゴアが近づいたようです。
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 この崖が、ハイネの詩にジルヒャーが作曲した有名な曲ローレライの大岩です。
 ここは、河が狭くなり浅くて流れも急で多くの舟が座礁したそうです。このためこのような妖女伝説が出来上がったといわれています。 

 最後に、花木の名前は分かりませんが、上陸したザンクト・ゴアの町に咲いていたきれいな花。
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 そして町で見かけた可愛い赤ちゃん。私の孫と生まれが同じ位なので思わずパチッ!
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 この後、中世の風情を残す城塞都市「ローデンブルグ」を訪れました。
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