飫肥城下町にある大正期の洋館「守永家(旧飯田医院)」

この建物は、1922(大正11年)に内科・小児科病院として建てられたものですが、現在の所有者は東京在住です。老朽化も進み倒壊の心配もあり、所有者は当初取り壊す意向でした。 しかし地元の皆さんの熱心な保存活動の結果、所有者のご厚意で市に寄付していただくことになり、今年3月30日に市の所有となりました。
そこで、市文化生涯学習課では、今後の保存と活用方法等について地元関係団体等の意見を聞く会を開きました。

市としては、「今後の活用方法によって改修費用も異なるが、地元で保存管理し活用する」ことが、基本的考えのようです。
・
そして「地元が主屋を改修する場合、費用については市が2分の1程度を助成できる」との説明もありました。 この「旧飯田医院」は、飫肥城大手門から約400m(徒歩5分)の距離です。多少の距離はあるものの、飫肥のシンボル的な建物でわざわざ訪ねる人も多いようです。
活用できれば、「飫肥城」と「旧飯田医院」の2つの拠点が、「食べあるき・町あるき」参加店とともに城下町で平面的につながります。そして一層の町の賑わいを創りだすことが期待できます。飫肥城下町保存会としても側面的からの応援が可能です。
さー、どのように保存活用するか、ここで地元飫肥の皆さんの手腕と力量が問われます。
※こちら 「飯田医院を残そう!」で募金を募っています。

この建物は、1922(大正11年)に内科・小児科病院として建てられたものですが、現在の所有者は東京在住です。老朽化も進み倒壊の心配もあり、所有者は当初取り壊す意向でした。 しかし地元の皆さんの熱心な保存活動の結果、所有者のご厚意で市に寄付していただくことになり、今年3月30日に市の所有となりました。
そこで、市文化生涯学習課では、今後の保存と活用方法等について地元関係団体等の意見を聞く会を開きました。

市としては、「今後の活用方法によって改修費用も異なるが、地元で保存管理し活用する」ことが、基本的考えのようです。
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そして「地元が主屋を改修する場合、費用については市が2分の1程度を助成できる」との説明もありました。 この「旧飯田医院」は、飫肥城大手門から約400m(徒歩5分)の距離です。多少の距離はあるものの、飫肥のシンボル的な建物でわざわざ訪ねる人も多いようです。
活用できれば、「飫肥城」と「旧飯田医院」の2つの拠点が、「食べあるき・町あるき」参加店とともに城下町で平面的につながります。そして一層の町の賑わいを創りだすことが期待できます。飫肥城下町保存会としても側面的からの応援が可能です。
さー、どのように保存活用するか、ここで地元飫肥の皆さんの手腕と力量が問われます。
※こちら 「飯田医院を残そう!」で募金を募っています。
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