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「旧飯田医院の主家」
 「旧飯田医院の内外部」に続いて、南側にある母屋の状況を報告します。
 「旧飯田医院」とは壁の付いた渡り廊下で結ばれています。その中間地点には地下階段があり、玄関と物置を行き来する通路になっています。
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 建物の周囲は庭木が伸び放題になっていますが、主家の玄関から屋内に入り、先ず内部の状況を紹介します。
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 玄関正面には、飫肥杉材に彫られた森永家の家紋が掲げてあり、柱には表札も掛かったままになっています。奥には「学校」の額が掲げてあるのが目に飛び込んで来ました。
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 この家紋は、伊東家に関係するモッコウに横一字をあしらったものですが、「学校」の額は拓本と言われるもので、藩校もしくはその後の学校を表す石もしくは木に刻まれた文字を墨を用いて、紙の上に写し採ったものではないかということです。 更にその奥に進むと、八畳の間があります。
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 二部屋ありますが、最近まで使用されていた様な生活感が漂っていました。思っていたほど傷みはないようです。
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 部屋には、古いレコードや雑誌などが置いてあり、この屋敷の歴史を感じさせます。また台所は大正以降に改修されてものと思われます。 
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 しかし、数カ所に雨漏り個所が見られ、プラスチックのタライが置いてありました。いずれも雨水がいっぱい貯まっています。
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 主家の外周は、まだしっかりしているようです。外壁に取り付けてあるプロパンガス用メ―タ―器によると、96年までは使用されていたのかも。
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 しかし、主家に隣接している物置については、屋根などが落ちていて見るも無残で、中にいることも無理です。
 その横にある約20坪の草むらは、20~30年前まで酒谷川のきれいな伏流水が流れ出ていたところだそうです。
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 こちらが、「旧飯田医院」の2階の窓から撮った「主家」です。
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 「主家」の床面積は、約200平方メートルで、明治後期に建てられ既に100年経っているとのことですが、この下部の屋根の瓦には、特徴のある飫肥瓦が用いられています。上部の屋根は当時茅葺で昭和になって瓦葺きになったと思われます。今から約16年前までは、まだ住居として利用されていたようです。建物の骨組みはまだしっかりしているようですが、屋根の傷みが進んでいて、保存となると早めの修理などが必要です。
 「主家」の所有者は日南市ですが、修理する考えはないようです。市としては、地元の住民を中心に広く市民に、ここを活用していただく団体等を募っているとのこと。風情のある飫肥城下町の貴重な古屋敷です。今後の活用方法については、宿泊・お食事処・和雑貨店・ギャラリーなどなど膨らんできます。そうなると飫肥城関連由緒施設ともにここ「旧飯田医院」周辺は、広い駐車場のある魅力的な観光スポットして注目されでしょう!
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