FC2ブログ
小村寿太郎侯を学ぶ
 郷土の偉人「小村寿太郎侯」について調査し知識を深めるため、市内南郷中学校一年生が小村記念館にやって来ました。
IMG_5856.jpg
 最初に学芸員から寿太郎侯の人生や功績など講義を受け、記念館の展示物の見学です。
IMG_5859.jpg
 中学一年生の年齢は13歳ですが、寿太郎侯はこの歳に藩校「振徳堂」の東寮に入寮しています。
 当時は15歳以上でないと入寮はまかりならなかったようですが、学業・品行ともに優秀であったのでしょう。 このため、学費免除を受けて校門の閉鎖から掃除まで行ったようです。
 そして寿太郎侯の俊才を小倉処平先生が見抜き、外国語特に英語習得等の必要性を教え、長崎留学から大学南校へと入学させるため尽力します。
 その後、ハーバード大学留学や米国での研修を終え帰国して司法省に就職し結婚をしますが、父の破産により多額の借金を背負い、金策に苦労する生活が余儀なくされます。
 しかしその後、外務省に転職したころから頭角を現し、米国公使などを経て外務大臣として活躍することになります。
          022.jpg

 ところで、司馬遼太郎著の「アメリカ素描」の中に、ポ―ツマス講和会議終了後、小村寿太郎全権大使はニュウ―ハンプシャ―州知事にお礼として1万ドルを寄付した旨の記録があります。更にそのことを3日後に知ったロシアの全権大使ウイッテは、あわてて同額を寄付します。同州は日露両国の国債に投入し「露日基金」と名付けられます。その金利が、毎年9月5日(講和会議調印記念日)にニュウハンプシャ―州の老人ホームなどや孤児院などの福祉施設に贈られていたそうです。
 その後ロシアは、革命により債務不履行となり送付が途絶えてしまいます。一方日本は太平洋戦争で一時途絶えましたが、昭和26年に以前の分を含め支払いを行うようになります。名称も「日本慈善基金」と改称され、現在もこの基金はニュウハンプシャ―州で生きつづけている。・・・・・・ということです。
 ここまでは、「アメリカ素描」に記載してありますが、私たちが疑問に感じたのは、金策に苦労している小村侯が、何故そのような大金をニュウ―ハンプシャ―州に寄付したのか?
 そこで外務省外交資料館に問い合わせたところ、「小村侯が講和会議出席時に明治政府から預かった宿泊に係る費用をニュウハンプシャ―州の計らいで受け取らなかった」・・・ということで、「小村侯はすかさずニューハンプシャ―州に寄付を申し出た」のだそうです。小村侯が信条とした正直・誠の心を持って事にあたる素晴らしい出来事です。この事を全国の多くの皆さんに知って欲しいものです。
スポンサーサイト



Template designed by アクセラと+αな生活(ホノミ)

Powered by .