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飫肥城の日々
飫肥城下町の魅力を発信
新年を迎える準備完了!
 今年もとうとう本日まで、飫肥城では、新年を迎える準備も終わりました。
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 真新しい国旗も大手門に掲げられました。
 城内の鐘つき堂の周辺では、「飫肥城の除夜の鐘をつく会」の準備です。
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 ぜんざいや飲み物などの振る舞い用のテント設置や大晦日の主役「鐘つき堂」も着々と化粧がされます。
 大手門の中では、大勢の皆さんが何かせっせと作業しています。
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 よく見るとキャンドルで何かを描いています。
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 また、城内では大手門からしあわせ杉までキャンドルが並べられています。
 来年20014年のキャンドルも出来上がり、灯りが灯されるのを待つばかりです。
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 今年の「飫肥城の除夜の鐘をつく会」は、7月に発足した地域連携組織「城下町飫肥まちづくり協議会」の皆さんが協力し、飫肥地域を挙げて取り組んで頂きます。
 本日は、午後10時にキャンドルやかがり火が灯されるとともに、108番までの番号札が歴史資料館で配布されます。(番号札がなくても後に並んでつくことが出来ます)
 除夜の鐘は、午後11時30分の獅子舞の奉納の後開始されます。新年を迎える午前0時のカウントダウンのあと、楽しいイベントが待っています。
 鐘をつき終わった皆さんは、空くじなしのお楽しみ抽選や飲み物の振る舞いなどでお待ちしています。
 皆さんも新年を飫肥城で迎えませんか! 地域の皆さんが皆さんをお待ちしています。
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神戸市の木!
 国際交流センター「小村記念館」の入口通路横にきれいな花を咲かせている木があります。
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 この花はこの地域ではあまり見かけないとっても綺麗な「サザンカ」の花です。ホワイト系の淡いピンクががった色で、優しい感じの花。
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 このサザンカの木は、女優の斎藤慶子さんが植樹されたもの。
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 これは、平成16年にNHKで放送された連続テレビ小説「わかば」のロケ地を記念して植樹されたものです。
 この「わかば」のロケは飫肥を中心とした日南市と神戸市で収録されました。
 物語は、主人公の若葉(原田夏希)が阪神・淡路大震災で父を失い、宮崎県の母の実家に身を寄せます。そして父との“約束”を果たすため、宮崎で造園を勉強し神戸で造園の道に進むというものです。
 その若葉の伯母役が「斎藤慶子さん」が、神戸市の市民の木「サザンカ」を植樹した・・・・・と言うことです。
 物語の中で、若葉はかなしい事や悩みがあると飫肥城旧本丸跡の杉の木立に行き、そこで元気をもらって立ち直るというストーリーでした。
 放送の後、旧本丸跡は「癒しの森」と呼ばれるようになり、「しあわせの杉」とともに今では元気のもらえるスポットとして飫肥城の中でも人気の場所です。
飫肥で生まれ育った鳥
 飫肥本町商人通りの薬局で見かけた、ご主人とペットの微笑ましい触れ合い。
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 この可愛いペットは、こちらの山野でもよく見かけるムクドリです。所によってはモズとも呼ばれています。
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 このムクドリは9年前に、この薬局の屋根裏の巣から天井に落ちていたヒナを大事に育てられたのだそうです。
 実は、以前は毎年数匹のひなが落ちてきたそうですが、ほとんどが餌になじまず死んでしまったとのこと。
 このムクドリだけは、無理矢理に餌を食べさせて必死に育てられた結果、元気に育ったそうです。
 今ではすっかり慣れて、このお店の家族の一人(?)として立派に成長しています。いつも店の前で通りの賑わいを見守っていますが、楽しみは3時間ごとの食事と優しいご主人との触れあいだそうです。
「杉の伝統が息づく町」
 NHKの番組で、飫肥城下町をはじめ油津堀川など日南市を取り上げていただくことになり、その収録が行われました。
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 先ず、飫肥杉を材料とした様々な商品が展示販売されてる「オビダラリー」を取材
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 そして城内の飫肥杉と言えば、今人気のスポット「しあわせ杉」
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 最良の飫肥杉で建てられている飫肥城下町での最も格式の高い「豫章館」、こちらもしっかり収録していただきました。
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 飫肥城下町で人気の侍さんが案内役を務めて、観光客を呈茶でおもてなしする「杉の会」の皆さんも紹介される予定です。
 撮影スタッフの皆さん、二日間に渡る収録お疲れさまでした!
 この番組は『杉の伝統が息づく町 宮崎県日南市』と言うテーマで、来年1月4日午前7時30分から放送の「おはようサタディ 九州沖縄」で放送されます。
 また、翌週7日(火)午後5時10分からの「夕時ネットワーク」で全国放送されるそうです。

 なおNHK宮崎放送の宮崎香子(きょうこ)キャスターはこれまでも飫肥の情報を発信していただいています。
 前回の収録の様子は、こちら宮崎キャスター、頑張りました!をご覧ください。
 「ミニ門松」設置!
大手門や豫章館の門松設置にあわせて、各由緒施設に設置するミニ門松をつくりました。
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 松や梅、葉ボタン、南天などで飾って完成。それを各由緒施設に設置
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 先ずは、小村記念館の正面玄関に設置。
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 更に本町商人通りの「旧山本猪平家」や「旧山本猪平家」の門に設置。
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 その他、商家資料館や城内の松尾の丸にも設置しました。
 大手門や豫章館の門松は、地元の専門の業者に委託して取付ける飫肥に伝わる独特な門松ですが、保存会でつくったこれらの門松は、どこでも見られるようなものです。
 それでも日本的な門松設置が終わり、後は鏡餅を供え大晦日の除夜の鐘をつく準備をして、新年を迎えることになります。
 

今年最後の泰平踊
 毎月自主公演している本町組保存会の泰平踊、今年最後の公演が行われました。
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 場所は、大手門から階段を上った犬馬場広場
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 公演の後はお客様への記念写真サービス!
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 侍さんも撮影に協力!
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 泰平踊は江戸時代から飫肥藩で踊られている伝統芸能で、県の無形文化財にもなっています。それをの本町組保存会の皆さんは、このように毎月第二日曜日にボランティアで自主公演をしていただいています。
 観光客の皆さんは、タイミングよく公演を見れるばかりでなく一緒に記念撮影をすることが出来て大変喜ばれています。
 本町組の皆さん1年間ありがとうございました。来年最初の公演は、1月10日の恵比寿まつり時に本町商人通りで行われる予定です。
最後の3校合同駅伝!
 飫肥地区にある小学校と2校、中学校1校の3校による恒例の駅伝大会が行われました。
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 飫肥小学校をスタート・ゴールとする駅伝大会で、大手門前を必ず通過して行きます。
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 風情のある通りを元気よく駆け抜けた飫肥っ子達。
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 最後は飫肥小グランドで表彰式。
 ところで、現在飫肥地区の小学校は、城内にある飫肥小学校と城外の吉野方小学校の2校がありどちらも長い歴史があります。
 その吉野方小学校が本年度で閉校になり、来年4月から飫肥小学校に統合されることになりました。
 このため3校としての駅伝大会は、今回が最後です。

 両小学校の子どもたちは、これから同じ学び舎で切磋琢磨して文武両道を目指し、飫肥が輩出した小村寿太郎侯につづくような人材に育って欲しいものです。
 
 
サトウキビ収穫
 今年も師走恒例のサトウキビ収穫の手伝いに行きました。
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 昨年より段取りも良くなり、今年の収穫作業は極めてスムーズに流れて行きます。
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 収穫量も昨年を上回っているとのこと
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 そして楽しみの昼食タイム。
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 特大のサンマも腹の中に収まりました。
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 こちらは椿の葉を下に敷いて焼くおにぎり、それにビックリしたのはこのサトウキビ畑横の畑で収穫された「りんご」
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 昔は考えられませんでしたが、サトウキビとりんごが隣りの畑で収穫できるのは日本ではここだけかも。りんごは小粒ですが、味も良く美味しく頂きました。
 皆さんは、若い頃から長年お付き合いさせて頂いている大事な友人です。
 この収穫作業の後、これを絞って汁を出し、釜でゆでて黒砂糖をつくるのですが、その作業は収穫作業のようなな生やさしいものではありません。さすがこの手伝いには行けませんでしたが、出来上がった箱入りの高価な黒砂糖はしっかり頂きました。ありがとうございました。
 ところでサトウキビと言えば沖縄が盛んですが、ここ日南市内でも以前は多くの栽培農家がいてサトウキビ小屋も多くありました。昔、私の家でも栽培していて、収穫された茎を腰に差しチャンバラごっこをしたことを思い出します。しかし現在の栽培農家は市内で4軒だけだそうです。
 懐かしい想いのあるサトウキビ収穫作業でした。 




飫肥藩の正月飾
 江戸時代から飫肥藩に飾られていた門松としめ縄飾りが、本日取り付けられました。
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 地元の業者さんにお願いして、この日は早朝から資材の運び込みです。
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 先ず、大手門の方から取付けです。
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 その後に、豫章館の取付け。
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 県外からお見えになった皆さんも、飫肥藩に伝わる正月飾りを見て珍しそうにじーっと見ていらっしゃいました。
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 この日は、生憎の小雨日でしたが、飾り付けられた松竹梅などは雨に打たれてむしろ活き活きとしています。
 飫肥城の門松の特徴は、節木(せちぎ)といって「しいの木」の割木を用いて「クズマキ蔓」で結束し、三束を一組として門の両脇に設置します。 三本の「こさん竹」を用いて鳥居とし、三つ網りのしめ縄にワラを七・五・三本の並びに下げ両脇に張ります。見た目は質素ですが、全て縁起ものにこだわった材料を用いていています。荒々しいなかにも堂々とした造りになっており畏敬の念を感じます。
 ぜひ皆さんもこの機会に、伝統ある飫肥の正月飾りをご覧頂き、その縁起もののしめ縄を潜り福を身に着け、幸せな新年をお迎えいただきたいと思います
師走の風物詩
 飫肥城の由緒施設等の障子の張替え作業が行われました。
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 糊を塗り付けて障子を貼る。
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 こちらは出番を待っている障子戸と貼り終わった障子戸
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 毎年恒例の作業なので、ベテラン職員の指導で手際よく新しい障子紙が貼られてゆきます。
 私たちが管理する由緒施設の中に、このような障子戸のある施設は7施設です。
 全てをきれいに張り替えが終わると、次は各施設に門松を設置します。
 特に、大手門と豫章館のしめ縄飾りと門松は、飫肥藩に伝わる独特の飾付けです。明18日にに設置することになっています。
 
 飫肥城下町で人気の「食べあるき・町あるき」事業、その現在の引換え券付きマップは、4代目のマップです。
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食べ歩き裏[1]1小
 そのパップの売れ行きが好調で残りが少なくなったため、5代目となる新しいマップを作成することにしました。そこで先日、この「食べあるき事業」に参加しているお店の皆さんを集めて説明会を開催しました。
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 「食べあるき」事業は、「一般財団法人 飫肥城下町保存会」が事務局として運営管理しております。この事業に参加されている商店は、引換え商品を用意してマップ購入者に引換え商品を渡すことが主たる業務となります。 引換え商品の換金業務は「飫肥商店会」で対応していただいています。
 この事業の運営は引換え券の20%の手数料を、「一般財団法人 飫肥城下町保存会」と「飫肥商店会」が頂いて事業展開をしています。しかしその手数料だけでは、この事業を運営していくことは厳しい状況です。そのためマップ印刷代については、これまで参加店からも5千~1万円の負担金を頂いていました。ところが参加店も魅力のある引換え商品を用意されていて新たな負担にはかなりの抵抗があります。
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 そこで、次の新マップ作成に合わせて、「食べあるき・町あるき」事業の主体を「一般財団法人 飫肥城下町保存会」が行うこととします。当保存会の事業とすることにより、この事業の印刷代を含め運営費の全てを手数料と当保存会の会計から捻出して事業展開をすることになります。
 また、「食べあるき・町あるき」事業をこれまで以上に魅力ある事業として運営するため、事業主体である「一般財団法人 飫肥城下町保存会」と契約を締結したお店(以下契約店)が新しいマップ加盟店になります。
 
 また、現在のマップについて参加店や関係者の皆さんから様々なご意見や要望等も聞かして頂きました。新しいマップの作製にあたっては、これらのご意見等を参考にした使用しやすく解かりやすい内容にしたいと思います。


シンガポールの旅行エージェント
 シンガポールからお見えの旅行エージェントの見なさん、県観光コンベンションの担当の方と飫肥城下町の視察です。
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 旧本丸跡の杉の木立ちの中で癒され、気に入っていただきました。
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 祐兵クラブでお馴染みの中島さんが協力し、人力車で案内。
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 「た町あるき」では、吉田寝具店の布の手づくり「お札入れ」が特に気に入ったようで、真剣な眼で選んでいました。
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 最後は、四半的の体験。
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 飫肥城下町の印象は、如何でしたか?
 皆さんの飫肥に対するコメントは、「通りの石垣や古い屋敷が日本の歴史を感じさせ、飫肥はとても魅力ある町です」「『食べあるき・町あるき』も楽しく散策できる仕掛けです」と満足して頂いたようです。
 帰国されたら、シンガポールの皆さんに九州の魅力ある観光地の情報を発信していただくことでしょう。

師走の紅葉
 飫肥城では、師走に入り寒さも増し漸く城内周辺の紅葉が真っ盛りです。
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 旧本丸跡の杉の中の紅葉も今でしょ!
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 癒しの森の旧本丸跡から松尾の丸の方向に眺めるある紅葉にも厭されます。
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 豫章館庭園入口付近は、盛りを過ぎた感じ
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 ところが、その奥のお数寄屋の前庭はこれからです。
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 大手門前の紅葉は、まだまだ楽しめます
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 今年は、異常気象だったにもかかわらず、台風等の被害を受けずに飫肥城の広葉樹は枝一杯の葉をつけています。今月に入ってからの冷え込みできれいに紅葉を始めた・・・・・・と言うことでしょう。
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 皆さんもカメラを持って、週末の土曜・日曜日は、ぜひ飫肥城にお出かけ下さい。
半沢直樹です!
先日お見えになった東京中央銀行大阪西支店の半沢直樹融資課長さん???
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 頂いたお土産を見て更にびっくり!
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 何と「倍返し饅頭」と箱に書かれています。
 早速中味をチェックさせていただきました。
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 すると・・・・・こういった感じの普通の小豆あん饅頭でした。 
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 実は、小京都「飫肥」の撮影にお見えになった、BSTBSの撮影スタッフの皆さんから頂いたお土産でした。
熱演!
 地元飫肥の幼稚園の発表会が小村記念館で開催されました。
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 園児達は、合唱やダンスなどビックリするほど上手に演技。
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 お父さんやお母さんたちは、可愛い我が子のために撮影に懸命。
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 会場は、大勢の家族で熱気ムンムンでした。 
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 日頃やんちゃなちびっこ達も、しっかり演技し練習の成果が見られました。この中から将来のAKB4のメンバーとして活躍する子がいるかも!・・・・と会場の皆さんは熱い眼差しで見つめているようでした。
  
親子会で食べあるき!
 市内桜が丘小学校の親子会の皆さんです。
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 飫肥城観光駐車場に集合し、チケット販売所前で「食べあるき・町あるきマップ」を持って、飫肥を楽しむ方法を聞いた後、飫肥散策のスタート。
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 先ずは城内のしあわせ杉でパワーをもらって、いよいよ目当てのお店に向け元気よく大手門通りを下って行きます。
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 その後皆さんは、親子で飫肥城や城下町の散策しながら秋の飫肥路を楽しんで頂いたようです。
 この日は、埼玉県の高校生が修学旅行でこの「食べあるき・町あるき」を楽しみました。このように今年になって、市内外から多くの小中学生や県外の高校生などがやって来るようになりました。受け入れる私どもも、このような期待に応えるべく、更なる魅力アップに努めなければならないと考えています。
 本年4月から本県の副知事として活躍されている内田欽也副知事さんが、県職員の方と二人で飫肥城下町にお見えになりました。
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 迎えたのは市の黒岩商工観光課長と岡本文化生涯学習課長さん。
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 小村記念館や城内の由緒施設等を見学された後に、「食べあるき・町あるき」で城下町の散策。 
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 商人通りのあちこちのお店で、気に入った商品と引き換えです。 
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 そして気軽にお店の皆さんと記念撮影。
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 今回、特に時間を割いて見学して頂いた小村記念館では、寿太郎侯とご一緒にカメラに収まって頂きました。
 内田宮崎県副知事は、東大卒業後、国土交通省(旧建設省)入省され、都市計画などの仕事に携わって来られたそうです。
 本年10月に県内で初めて、飫肥城下町が国の認定を受けた「歴史的風致維持向上計画」の基となる「歴史まちづくり法」の策定も携わってこられたとのこと。この「歴史まちづくり法」は、地域の歴史的な風情や情緒を生かしたまちづくりを支援する法律です。
 計画には「旧飯田病院」の補修や案内板の設置、電線の地中化などの事業が盛り込まれています。今後歴史まちづくりの追い風になること間違いなしです。
 内田副知事さんも、飫肥のような歴史のある町には大変関心を持っていらっしゃるようで、県も様々なバックアップをしていただけるものと期待しています。
 
 小倉処平が加療したが「記念堂」落成式行事が終了した後、處平が自刃した最後の地(高畑山中腹)を訪ねることにしました。
 そこで落成式に参加されていた地元の関係者に、登り口まで案内頂きました。
 その上り口は、国道10号線と日豊本線を横切った三足という集落の山手にあります。
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 集落の中を横切り、少し上った屋敷横にある狭い山道らしきところが上り口です。北川町で良く見かける「明治維新 西南の役 終結の地」の幟が2本立っています。側には、登山用の杖も数本準備されてます。
 そこから足場の悪い山道を登って行きます。約20~30分ほど上った中腹に、漸く石碑が見えてきました。
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 そして、漸くその地にたどりつきました。
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 小倉処平は、川坂の神田伊助氏宅で加療中に西郷の可愛岳突囲を知り、急きょ地元の若者2人にカゴをつくってもらい西郷の後を追っそうですが、官軍が迫る中山道を間違えたようで、ここで二人の若者に頼み自刃したそうです。時は明治10年8月17日、満31歳の惜しまれる若さでした。
 三足集落入口の日豊線ガードの手前にある案内板です。
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 明治の偉大な外交官小村侯の幼少時の才能を見抜き、そして育て侯の活躍を導いた小倉処平先生の自刃の地を訪れ、道半ばでの若すぎる死を大変悔しく思うとともに、先生のご冥福を心からお祈り致します。

 その後、薩軍が8月15日の和田越えの戦いで破れて退却し、西郷隆盛が宿陣した長井村の児玉熊四郎宅(西郷隆盛宿陣跡資料館)を訪れました。
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 薩軍は、武器弾薬も尽き、負傷者も多く組織的な政府軍への対抗は困難な状況に陥っていたようです。
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 そこで西郷隆盛は最後の軍議を開き、薩軍の解軍を決意し、行動の自由を西郷直筆の書で公布したとのこと。  それは、「我軍の窮迫、此に至る。今日の策は、唯、一死を奮つて決戦するにあるのみ。此際、諸隊にして、降らんと欲するるものは降り、死せんと欲する者は死し、士の卒となり、卒の士となる、唯、其の欲する所に任ぜよ」・・・・という内容です。
 さらに従ってきた愛犬を放ち、唯一の陸軍大将制服や重要書類一切を庭前で焼却したそうです。
 そして8月17日夜半に夜陰にまぎれ、総勢600人ほどで可愛岳突破を敢行しました。

 その後、小倉処平が官軍の銃撃で負傷したとされる和田越合戦の地も訪れました。
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 この和田越え激戦地の石碑は、国道10号線の延岡市街のはずれの稲葉崎交差点を右斜めに上がって行ったところにあります。ここは、西南の役で西郷隆盛が、初めて戦場に立ったところだそうです。
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 薩軍は和田越えを中心にして左右に連なる山丘に約5千の兵を配置しました。
 一方官軍は山縣有朋中将の率いる本隊を中心に約50000人で包囲し攻撃してきました。
 この時小倉処平は奇兵隊軍監として、この地の最南東にある友内山で戦い負傷しました。 その後薩軍は北川に退却し、小倉は坂地区の神田伊助氏宅で加療した・・・・・ということです。

 小村寿太郎とのかかわりについては、館長ブログの『小倉処平』と『小村寿太郎』をご覧下さい。 
 小村寿太郎を育てた小倉処平が、西南の役で飫肥藩騎兵隊を率いて戦い負傷し加療した地に「記念堂」が建立され、その落成式に案内を頂き、出席させて頂きました。
 その地は、宮崎県北部の延岡市北川町川下の岩戸神社の鳥居をくぐった処にありました。
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 和田越えの戦いで負傷し、この川坂の神田伊助氏宅に逃れて加療したと伝わっています。
 その地に記念堂が建立されました。
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 落成式は、「小倉処平を語りつづける会」と地元川坂区自治会の皆さんが中心となって12月3日に開催されました。
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 神事にに先立ち、小倉処平のパネルが日南市岡本文化生涯学習課長さんから、そして処平さんの人形が飫肥出身の高山在京経営者協会長さん等から奉納され、記念堂に納められました。
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 そして地元の皆さんが見守る中神事が行われ、関係者のによる玉串奉奠
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 神事の後は、主催者と来賓の挨拶があり、式典最後はテープカットそして祝いの餅まき
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 その後、会場を母子健康センターに移し直会が開かれました。
  主催者の安藤川坂区区長さんの挨拶の後には、居合道の黒木宮崎県会長さんによる抜刀披露が行われ迫力ある模範演技が行われました。
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 そして祝宴と歓談があり、手づくりの地元料理がふるまわれ、美味しく頂きました。
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 この小倉処平加療の地を守る館「記念堂」は、志を果たすために官軍に向かい、負傷して神田伊助氏宅に逃れて加療し、その翌日に無念の死をを遂げて136年目に建立されました。今日までそのことを想い続けてこられた地元川坂の皆さんに心が打たれます。さらにそのことを語り続けて行こうとする証としての「記念堂」、心から感謝申し上げます。處平が生まれ育った飫肥の地に関わりのある者として、このことを契機に更に繋がりを強くすべきだと考えます。
 日南市民も、この地をぜひ訪れて欲しいと思います。
 串間市総合運動公園をスタートゴールとする「ツールド・にちなんくしま」が開催され、最長のAコース(126km)は飫肥城を折り返すものです。
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 午前9時にスタートしたライダーが、11時過ぎから続々と飫肥エイドにゴールします。
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 こちらは茨城県から参加された大学生のチームで、最初に飫肥エイドにゴールされました。
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 ここのエイドは、Aコースの昼食タイムとなっています。
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 地元の高校生などのボランティアの協力を受けてしっかりおもてなし! 
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 ちなみに、こちらが提供された昼食、飫肥の名物「飫肥天」や地元どれの具が沢山入った「豚汁」などです。
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 自慢の自転車ツーリングが、ズラリ勢揃い!
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 元気が出たところで最終ゴールに向けて出発!
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 ボランティアの皆さんに見送られて、次々とスタート!
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 帰路はだらだらの上り坂が続きますが、海岸の景色を眺めながらそれぞれのペースでのんびりと楽しんでください。
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 ボランティアで皆さんを迎えてくれた地元の高校生の皆さんです。
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 次回も、ぜひ参加されるのをお待ちしています。
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 昨年の「ツールド・にちなんくしま」は、日南市運動公園をスタート・ゴールするもので、今年とは逆コースでした。 今年はコースと時期を変えて開催されましたが、参加者数は予定していたほどの申し込みがなかったようです。
 様々な要因があったようですが、参加された皆さんの感想を聞くと、「大変素晴らしいコースで満足している、飫肥城もプライベートでゆっくり散策してみたい」と、評価は良かったと感じました。
 今年の反省を含め、次回はもっともっと盛り上げたいと思いますので、魅力ある取組みを実行委員会の皆さんにもお願いします。

 
「寿太郎侯音頭保存会」が発足
 小村寿太郎侯の功績を称えて作曲された「寿太郎侯音頭」保存会が発足しました。
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 保存会発足に先立ち、関係者の皆さんによる踊隊が10月20日の飫肥城下まつりパレードに参加。
 そして、小村寿太郎侯の命日(11月26日)に市内のホテルで発足の式典が開催されました。
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 式典では、寿太郎侯音頭の作詞作曲をされた田原宣男会長の挨拶と来賓の崎田市長の祝辞に続いて、音頭の振付をしていただいた藤間稔樹さんの祝いの舞が披露されました。
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 そして保存会会員による祝いの踊り
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 その後、祝宴が開催され、最後に全員で「寿太郎侯音頭」の総踊り。
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 この「寿太郎侯音頭」は、2011年の小村寿太郎侯の没後100年を記念して、地元の皆さんの協力で作曲されたもので、「飫肥城下まつり」や「寿太郎まつり」をはじめ、いろいろなイベント等でに踊られています。
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 この保存会の発足を機会に、小村侯の遺徳を称え、郷土の誇りを踊りに託し多くの皆さんに気軽に踊っていただけたらと思います。
102年目の墓前祭
 こちらは、飫肥歴代藩主をはじめ伊東家祖先累代の神霊を祀る五百禩(いおし)神社の北側にある小村家の墓地です。
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 その墓地の中で、ひと際大きいのが小村寿太郎侯の墓石です。
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 去る11月26日は小村侯が亡くなって102回目の墓前祭が執り行われました。
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 市長をはじめ、小村家や地元の皆さんが小村侯のご霊前に玉串奉奠を致しました。
 小村寿太郎侯は、1855年飫肥藩に生まれ、1901年に外務大臣に就任し通算7年4ヶ月もの間に日英同盟や日露戦争のポーツマス講和条約を締結するなど、歴代外務大臣としては陸奥宗光、吉田茂と並んで歴史に残る活躍をしましたが、神奈川県葉山で56歳の若さで死去しました。
 東京の青山霊園にも小村侯は祀られておりますが、こちら『青山霊園』をご覧下さい。
 そちらでも「小村寿太郎侯東京奉賛会」による墓前祭が行われたことと思います。


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