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 綾城
 飫肥伊東氏と縁のある綾城。
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 この城は、約650年前に築城されていたとの想定に基づき、日本城郭協会等の調査に基づいて考察され、昭和60年に戦国初期城楼建造物として構築されたものだそうです。綾城が、かってこのような建築物であったということではありません。
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 入口には立派な門が築かれています。
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 城内は資料館になっていています。入館して特に注目したのが、この武将の面々。
 綾城は伊東氏48城の一つとなっていましたが、、1572年えびの木崎原の戦いで島津に敗れて、島津勢に追われ豊後の大友宗麟を頼って落ち延びる時に、立ち寄ったとされる状況がセットされていました。
 向かって左が伊東氏十六代義祐、中央が城内に迎え入れた綾城主佐土原遠江守です。右は後に新刀の開祖といわれる刀工田中国広です。このセットの状況は、国広が義祐に島津勢から身を守る策を進言しているところとの説明がありました。その後、国広は天正遣欧少年使節の一人で当時8歳の伊東マンショを背負い、後に飫肥城初代藩主となる伊東祐兵などと共に豊後に落ち延びることになります。
 その後、綾城は島津氏が支配しますが、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となります。
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