「飫肥つむぐ展」が、昨年に引き続き11月1日(土)~2日(日)の2日間開催されます。

今年のテーマは「衣」だそうです。
・
県内外の作家さん7人が、手づくりの洋服、バック、財布、傘などを展示します。
・
展示場となる「小村寿太郎侯生家」の近の「オビダラリー」でも、連携してミニワークショップを企画中です。

主催者で開催に向け取り組り組まれている倉永さんによると、「飫肥つむぐと展」のコンセプトは、『飫肥城下町から、手から手へ・・・人から人へと手仕事の魅力×飫肥の魅力がつたわり、ヒト・モノ・コトがつむぐように、いつかあらたなひとつのカタチになるように』だそうです。

この催しには「市教育委員会」と「宮崎日日新聞社」が後援し、私ども「飫肥城下町保存会」も応援しています。
多くの皆さんのご来場をお待ちしています。
なお、お問い合わせ先は、【080-5603-5538(倉永)】です。


今年のテーマは「衣」だそうです。
・

県内外の作家さん7人が、手づくりの洋服、バック、財布、傘などを展示します。
・

展示場となる「小村寿太郎侯生家」の近の「オビダラリー」でも、連携してミニワークショップを企画中です。


主催者で開催に向け取り組り組まれている倉永さんによると、「飫肥つむぐと展」のコンセプトは、『飫肥城下町から、手から手へ・・・人から人へと手仕事の魅力×飫肥の魅力がつたわり、ヒト・モノ・コトがつむぐように、いつかあらたなひとつのカタチになるように』だそうです。


この催しには「市教育委員会」と「宮崎日日新聞社」が後援し、私ども「飫肥城下町保存会」も応援しています。
多くの皆さんのご来場をお待ちしています。
なお、お問い合わせ先は、【080-5603-5538(倉永)】です。
スポンサーサイト
日南市の姉妹都市である那覇の沖縄の伝統芸能エイサーを舞った四団体がを紹介します。

市外から参加の高崎麓エイサー隊「風車」と琉球国まつり太鼓の皆さん。そして市内からは・・・・・

年々腕を上げている潮わらばー会と桜エイサー太鼓の皆さんです。
次に獅子舞には飫肥地区の三神社が参加。

最初に弥五郎さんを従えている田ノ上八幡神社獅子舞保存会。

そして愛宕神社と岩崎稲荷神社の獅子舞保存会の皆さんです。次は、今回初めて参加していただいた皆さんです。

日南市のもう1つの姉妹都市「犬山市」からお見えの「夢っ娘」の皆さん、そして県内観光を勝手に応援していただいてる「おばばーズ」の皆さん。この日は代表四名が参加して得意のエアー三味線の音色!!!を奏でていただきました。
まだご紹介できない多くの団隊やグループ皆さんがまつりパレードを盛り上げていただきました。

二日間で五万人がまつり見学にお見えになったとのこと。まつりに関わっていただいた市観光協会や行政の皆さんをはじめ、市内数多くの団体の皆さん大変お疲れ様でした。お陰で今年のまつりは例年以上に盛り上がったと思います。


市外から参加の高崎麓エイサー隊「風車」と琉球国まつり太鼓の皆さん。そして市内からは・・・・・


年々腕を上げている潮わらばー会と桜エイサー太鼓の皆さんです。
次に獅子舞には飫肥地区の三神社が参加。

最初に弥五郎さんを従えている田ノ上八幡神社獅子舞保存会。


そして愛宕神社と岩崎稲荷神社の獅子舞保存会の皆さんです。次は、今回初めて参加していただいた皆さんです。


日南市のもう1つの姉妹都市「犬山市」からお見えの「夢っ娘」の皆さん、そして県内観光を勝手に応援していただいてる「おばばーズ」の皆さん。この日は代表四名が参加して得意のエアー三味線の音色!!!を奏でていただきました。
まだご紹介できない多くの団隊やグループ皆さんがまつりパレードを盛り上げていただきました。

二日間で五万人がまつり見学にお見えになったとのこと。まつりに関わっていただいた市観光協会や行政の皆さんをはじめ、市内数多くの団体の皆さん大変お疲れ様でした。お陰で今年のまつりは例年以上に盛り上がったと思います。
市中パレードで、目に留まったものを紹介します。沿道のちびっ子達が一斉に駆け寄ってきたのは、「むっしゅみの吉」さんの風船のようなシャボン玉!

「宮崎ひょっとこ民話会」の踊りでは、プラカードを持っていたボーイスカウトの少年が、最も上手に踊っていたように思ったのは私だけでしょうか。

また大人の踊り手さんも、沿道からの記念撮影の依頼に快く応じていただきました。さらに、大人も顔負けの踊りといえば、このちびっ子踊り手たち。

地元の浄念寺学園のマーチング隊の園児や藤間流念樹会藤音会の子ども達。
ところで、この巨大な方は・・・・・・・

弥五郎さんです。二体の弥五郎さんがいて、こちらがパレード。もう一体は城内でお客さんを迎えています。

サイドにアンパンマンを乗せて走り抜けていった大型自動二輪車、縁起のよい子ども獅子に頭をかんでもらっている大人など和やかな一幕もありました。

「宮崎ひょっとこ民話会」の踊りでは、プラカードを持っていたボーイスカウトの少年が、最も上手に踊っていたように思ったのは私だけでしょうか。


また大人の踊り手さんも、沿道からの記念撮影の依頼に快く応じていただきました。さらに、大人も顔負けの踊りといえば、このちびっ子踊り手たち。


地元の浄念寺学園のマーチング隊の園児や藤間流念樹会藤音会の子ども達。
ところで、この巨大な方は・・・・・・・


弥五郎さんです。二体の弥五郎さんがいて、こちらがパレード。もう一体は城内でお客さんを迎えています。


サイドにアンパンマンを乗せて走り抜けていった大型自動二輪車、縁起のよい子ども獅子に頭をかんでもらっている大人など和やかな一幕もありました。
飫肥城下まつり市中パレードで、飫肥城下町の特徴がでるメインパレードが、「泰平踊」です。

今年の市中パレードは、本町組保存会(亀組)。一年毎に今町組(鶴組)と交互に踊ります。今町組は、前日の早馬の後に大手門前で披露しています。

次は、「かめの子会」の皆さん。

かめの子会は、中学生や高校生、大学生によって構成されています。中には女性も参加しています。

続いて、地元「飫肥保育園」と「日南幼稚園」のちびっこたち。

先生の指導の成果が出て、とっても可愛い泰平踊。後には奴も続きます。

泰平踊の最後は、飫肥小学校と吾田東小学校の6年生。

飫肥小学校の後方には、吾田東小学校の奴が力強く踊っています。

泰平踊は侍踊りと奴踊りがあり、両者が一体となって泰平踊が引き立ちます。
暑い中でしたが、ちびっこ達から大人までしっかり披露していただきありがとうございました。

今年の市中パレードは、本町組保存会(亀組)。一年毎に今町組(鶴組)と交互に踊ります。今町組は、前日の早馬の後に大手門前で披露しています。


次は、「かめの子会」の皆さん。

かめの子会は、中学生や高校生、大学生によって構成されています。中には女性も参加しています。


続いて、地元「飫肥保育園」と「日南幼稚園」のちびっこたち。

先生の指導の成果が出て、とっても可愛い泰平踊。後には奴も続きます。


泰平踊の最後は、飫肥小学校と吾田東小学校の6年生。

飫肥小学校の後方には、吾田東小学校の奴が力強く踊っています。


泰平踊は侍踊りと奴踊りがあり、両者が一体となって泰平踊が引き立ちます。
暑い中でしたが、ちびっこ達から大人までしっかり披露していただきありがとうございました。
第37回飫肥城下まつりの市中パレードは、好天に恵まれて12時からスタートしました。
パレード第1部は、各市内の団体やグループから成る飫肥ロマン隊による総踊りでスタートしました。先陣を切ったのは日南市役所職員厚生会の皆さん。

続いて、第2部は大型自動二輪愛好会の皆さんが先導します。

横断幕の後に「にちなんぢゃ様」と「あゆみちゃん」がやってきました。まつり役員や犬山市・那覇市からの来賓の皆さんなどが続きます。﨑田日南市長は小村寿太郎侯に扮して登場。

このパレードには、2014日南サンフレッシュレディと那覇観光キャンペーンレディも参加。
・
そして時代絵巻となる侍大将と女武者がやってきました。

侍大将は、私ども(一財)飫肥城下町保存会の理事長で観光協会の会長を兼ねる清水満雄商工会議所会頭、そして凛々しい女武者は日南学園の安藤晴香さん。

その後に続く武者行列は、「飫肥地区鎧・兜の会」の皆さんです。日頃は市内でサッカーや野球に取り組んでいる元気な小学生たちです。先頭の四名が掲げている九曜紋幟は、当保存会が作成したもので、今回初めて着装しました。

いよいよこの後は、市内九地区から選ばれた注目のミスお姫様が登場します。その様子は、明日以降にブログアップします。

パレード第1部は、各市内の団体やグループから成る飫肥ロマン隊による総踊りでスタートしました。先陣を切ったのは日南市役所職員厚生会の皆さん。


続いて、第2部は大型自動二輪愛好会の皆さんが先導します。

横断幕の後に「にちなんぢゃ様」と「あゆみちゃん」がやってきました。まつり役員や犬山市・那覇市からの来賓の皆さんなどが続きます。﨑田日南市長は小村寿太郎侯に扮して登場。


このパレードには、2014日南サンフレッシュレディと那覇観光キャンペーンレディも参加。
・


そして時代絵巻となる侍大将と女武者がやってきました。

侍大将は、私ども(一財)飫肥城下町保存会の理事長で観光協会の会長を兼ねる清水満雄商工会議所会頭、そして凛々しい女武者は日南学園の安藤晴香さん。


その後に続く武者行列は、「飫肥地区鎧・兜の会」の皆さんです。日頃は市内でサッカーや野球に取り組んでいる元気な小学生たちです。先頭の四名が掲げている九曜紋幟は、当保存会が作成したもので、今回初めて着装しました。

いよいよこの後は、市内九地区から選ばれた注目のミスお姫様が登場します。その様子は、明日以降にブログアップします。
飫肥小学校グランドのメインステージでは、Misachiさんのゲストライブショー

小学校の同級生﨑田日南市長も駆けつけ、同校の閉校記念歌「せんだんの木~校舎から君へ~」を一緒にデュエット。市長も中々の歌唱力でした。

Misachiさんの後は、中西保志さんのゲスト歌謡ショーです。

いきなりヒット曲「最後の雨」を熱唱です。その後、尾崎豊が亡くなった年にデビューされたとのことで、尾崎豊の曲やサザン、松田聖子などのカバー曲を披露していただきました。

ところで、中西さんは日本歴史などに詳しく、飫肥城藩主伊東氏についてもよくご存知でした。好きな作家は司馬遼太郎で、その中で「小村寿太郎侯」についても大変感銘を受けられたようです。歌謡ショー本番前に小村記念館にお見えになり、寿太郎侯に関する展示物を熱心にご覧いただきました。関連の書物を購入していただき、「明治の偉大な外交官『小村寿太郎侯』を自分なりに発信します」とありがたいコメントまでいただきました。
日南出身のMisachiさんと小村寿太郎を大変評価されている中西保志さん、今後のご活躍を応援したいと思います。

小学校の同級生﨑田日南市長も駆けつけ、同校の閉校記念歌「せんだんの木~校舎から君へ~」を一緒にデュエット。市長も中々の歌唱力でした。


Misachiさんの後は、中西保志さんのゲスト歌謡ショーです。

いきなりヒット曲「最後の雨」を熱唱です。その後、尾崎豊が亡くなった年にデビューされたとのことで、尾崎豊の曲やサザン、松田聖子などのカバー曲を披露していただきました。

ところで、中西さんは日本歴史などに詳しく、飫肥城藩主伊東氏についてもよくご存知でした。好きな作家は司馬遼太郎で、その中で「小村寿太郎侯」についても大変感銘を受けられたようです。歌謡ショー本番前に小村記念館にお見えになり、寿太郎侯に関する展示物を熱心にご覧いただきました。関連の書物を購入していただき、「明治の偉大な外交官『小村寿太郎侯』を自分なりに発信します」とありがたいコメントまでいただきました。
日南出身のMisachiさんと小村寿太郎を大変評価されている中西保志さん、今後のご活躍を応援したいと思います。
いよいよ明日から開催される「飫肥城下まつり」の大手門前の幟と提灯の設置が完了しました。

初めて披露される九曜紋の幟も設置!

2日目にパレードが行われる本町商人通りの飾りつけも完了!

城下まつりの詳しい情報はこちら『第37回飫肥城下まつり情報』をご覧ください。
・
明日から2日間に渡って飫肥城周辺で繰り広げられる「第37回飫肥城下まつり」、天気も良ようで素晴らしいまつりになることでしょう!多くの皆さんのお越しをお待ちしています。

初めて披露される九曜紋の幟も設置!

2日目にパレードが行われる本町商人通りの飾りつけも完了!

城下まつりの詳しい情報はこちら『第37回飫肥城下まつり情報』をご覧ください。
・

明日から2日間に渡って飫肥城周辺で繰り広げられる「第37回飫肥城下まつり」、天気も良ようで素晴らしいまつりになることでしょう!多くの皆さんのお越しをお待ちしています。
読書の秋、本日飫肥小学校の子供たちが、飫肥藩校「振徳堂」で読書活動。

4年1組と2組の49名が、午前中2回に分けて素読の間で静かに本を読んでいました。

「振徳堂」は、天保2年(1831)に飫肥藩13代藩主「祐相公」によって、従来の学問所を増改築し、儒学者安井滄洲・そ息軒父子を迎えて開設されました。
開設の主旨は、「聖賢の教えを守り、忠孝に励み、礼節を尊び、長幼の序を重んじ、文武両道を鍛える」こととされていました。このことが、振徳精神として藩校の士風となり、動乱の幕末や維新の難局に処してきました。

敷地内にある「小倉処平」碑と「小村寿太郎」胸像、二人を結びつけたのはここ振徳堂です。
小村が信条とした「誠」「正直」の心もここで育まれたといわれます。

多くの飫肥藩士たちが学んだ「振徳堂」の玄関には、子供たちの履物が整然と揃えて置いてありました。ここで先人たちの偉業を振り返り、その教えの少しでも得る時を過ごして欲しいと思います。

4年1組と2組の49名が、午前中2回に分けて素読の間で静かに本を読んでいました。


「振徳堂」は、天保2年(1831)に飫肥藩13代藩主「祐相公」によって、従来の学問所を増改築し、儒学者安井滄洲・そ息軒父子を迎えて開設されました。
開設の主旨は、「聖賢の教えを守り、忠孝に励み、礼節を尊び、長幼の序を重んじ、文武両道を鍛える」こととされていました。このことが、振徳精神として藩校の士風となり、動乱の幕末や維新の難局に処してきました。


敷地内にある「小倉処平」碑と「小村寿太郎」胸像、二人を結びつけたのはここ振徳堂です。
小村が信条とした「誠」「正直」の心もここで育まれたといわれます。


多くの飫肥藩士たちが学んだ「振徳堂」の玄関には、子供たちの履物が整然と揃えて置いてありました。ここで先人たちの偉業を振り返り、その教えの少しでも得る時を過ごして欲しいと思います。
漂泊の俳人「種田山頭火」は、大正から昭和の初めに放浪の托鉢生活のなかで独特な自由律の俳句を残しています。

句碑の除幕式が行われたのは、榎原にある井上酒造敷地内です。井上酒造株式会社の創業120周年記念事業として句碑を建立されました。
・
句碑には、そこで詠んだ「こんなにうまい水があふれてゐる」が刻まれています。

この井上酒造の敷地にある榎原名水は、「宮崎県の名水21選」に選ばれ、おいしい水があふれて出ています。
この湧水でおいしい芋焼酎「飫肥杉」などがつくられています。
ところで山頭火の句碑は、飫肥城下町にもあります。

本町商人通りにある「中華料理泰平」の玄関脇に建立されています。
句碑には、飫肥で詠んだ「水の味も身にしむ秋となり」、「ここに白髪を剃りおとしてさる」、「誰もゐないでコスモスそよいでゐる」の3句が刻んであります。

山頭火は、昭和5年10月1日から8日間を飫肥や油津、榎原に滞在しました。飫肥を訪れたのは、10月4日と5日の2日間です。その後油津から目井津を経て、榎原には8日に訪れ栄家に泊まっています。
目井津では「酔うてこほろぎといっしょに寝てゐたよ」、榎原では「窓をあけたら月がひょっこり」と滑稽な句も詠んでいます。
除幕式が行われた10月8日は、山頭火が榎原を訪れてから84年目になります。
この度の句碑の建立をしていただいた井上酒造の寺田社長さん、そして式典の企画していただいた日南山頭火の会設立準備会の菊池さんの御両人のご尽力に感謝致します。

句碑の除幕式が行われたのは、榎原にある井上酒造敷地内です。井上酒造株式会社の創業120周年記念事業として句碑を建立されました。
・

句碑には、そこで詠んだ「こんなにうまい水があふれてゐる」が刻まれています。


この井上酒造の敷地にある榎原名水は、「宮崎県の名水21選」に選ばれ、おいしい水があふれて出ています。
この湧水でおいしい芋焼酎「飫肥杉」などがつくられています。
ところで山頭火の句碑は、飫肥城下町にもあります。


本町商人通りにある「中華料理泰平」の玄関脇に建立されています。
句碑には、飫肥で詠んだ「水の味も身にしむ秋となり」、「ここに白髪を剃りおとしてさる」、「誰もゐないでコスモスそよいでゐる」の3句が刻んであります。

山頭火は、昭和5年10月1日から8日間を飫肥や油津、榎原に滞在しました。飫肥を訪れたのは、10月4日と5日の2日間です。その後油津から目井津を経て、榎原には8日に訪れ栄家に泊まっています。
目井津では「酔うてこほろぎといっしょに寝てゐたよ」、榎原では「窓をあけたら月がひょっこり」と滑稽な句も詠んでいます。
除幕式が行われた10月8日は、山頭火が榎原を訪れてから84年目になります。
この度の句碑の建立をしていただいた井上酒造の寺田社長さん、そして式典の企画していただいた日南山頭火の会設立準備会の菊池さんの御両人のご尽力に感謝致します。
飫肥藩主伊東家の家紋で、二代藩主まで使用されていた「九曜紋」の軍旗(幟)を、このほど復元しました。

この軍旗は、飫肥城歴史資料館やきよたけ歴史資料館に収蔵されている文献などを参考に、当保存会「長友学芸員」の努力によって再現されたものです。
物の本によると、幟は平安時代は長い布の短辺に木を通して紐で吊り上げて風になびかせる、丈の高い流れ旗を軍団の象徴として軍容を誇示するため掲げていました。
しかし、室町時代になると武家の一族間での争いが増加し、同じ流れ旗と同じ家紋を用いる敵味方の判断に混乱を生じるようになりました。このため、布地の長辺の一方と上辺のあわせてふたつの辺を旗竿に結びつけることで流れ旗との識別を容易にした幟が発案され、全国の武家へと徐々に広まっていったとされます。
![飫肥城デザイン[1] (2)](http://blog-imgs-66.fc2.com/o/b/i/obihozonkai/201410101247533b2.jpg)
伊東家の九曜紋は、先祖工藤祐経の正妻の父方千葉氏家紋の使用を、源頼朝から許されたことに始まるとされます。千葉氏は、関東の名族で妙見信仰由来する家紋だそうです。ところが、江戸時代初期に熊本城主となった細川氏家紋が、同じ九曜紋でした。そこで戦場での混乱を避けるため小藩であった飫肥藩は、細川氏に遠慮して三代藩主から星の数を一つ増やしたとのこと。紋は十曜紋となりましたが、呼称は以前のよう「九曜紋」と称するのにこだわったと思われます。


この軍旗は、飫肥城歴史資料館やきよたけ歴史資料館に収蔵されている文献などを参考に、当保存会「長友学芸員」の努力によって再現されたものです。
物の本によると、幟は平安時代は長い布の短辺に木を通して紐で吊り上げて風になびかせる、丈の高い流れ旗を軍団の象徴として軍容を誇示するため掲げていました。
しかし、室町時代になると武家の一族間での争いが増加し、同じ流れ旗と同じ家紋を用いる敵味方の判断に混乱を生じるようになりました。このため、布地の長辺の一方と上辺のあわせてふたつの辺を旗竿に結びつけることで流れ旗との識別を容易にした幟が発案され、全国の武家へと徐々に広まっていったとされます。

![飫肥城デザイン[1] (2)](http://blog-imgs-66.fc2.com/o/b/i/obihozonkai/201410101247533b2.jpg)
伊東家の九曜紋は、先祖工藤祐経の正妻の父方千葉氏家紋の使用を、源頼朝から許されたことに始まるとされます。千葉氏は、関東の名族で妙見信仰由来する家紋だそうです。ところが、江戸時代初期に熊本城主となった細川氏家紋が、同じ九曜紋でした。そこで戦場での混乱を避けるため小藩であった飫肥藩は、細川氏に遠慮して三代藩主から星の数を一つ増やしたとのこと。紋は十曜紋となりましたが、呼称は以前のよう「九曜紋」と称するのにこだわったと思われます。
飫肥城下まつりを前に、シルバー人材センターと日南学園看護科2年の皆さんが、共同で城内周辺の清掃活動をしました。

日南学園の皆さんは、シルバー人材センター女性会員の皆さんと一緒に、豫章館と小村記念館の除草作業。

広い庭園の雑草を、根気づよく抜き取ってくれました。

男性会員は、主に石垣の除草や瓦の修理。

剪定作業は慣れたものです。

本日は、シルバー人材センターが80名、日南学園看護科が45名で計125名の皆さんが清掃活動に参加しました。

皆さんお疲れさまでした!
このボランティア活動が始まったは20年以上も前からです。その後シルバーの皆さんが、このような活動に元気に取り組んでいることに、日南学園看護科の生徒たちが共感し、10年ほど前から一緒に取り組むようになったとのことです。老若連携による共同作業です。


日南学園の皆さんは、シルバー人材センター女性会員の皆さんと一緒に、豫章館と小村記念館の除草作業。


広い庭園の雑草を、根気づよく抜き取ってくれました。


男性会員は、主に石垣の除草や瓦の修理。


剪定作業は慣れたものです。


本日は、シルバー人材センターが80名、日南学園看護科が45名で計125名の皆さんが清掃活動に参加しました。

皆さんお疲れさまでした!
このボランティア活動が始まったは20年以上も前からです。その後シルバーの皆さんが、このような活動に元気に取り組んでいることに、日南学園看護科の生徒たちが共感し、10年ほど前から一緒に取り組むようになったとのことです。老若連携による共同作業です。
台風18号が接近中です。飫肥城下町の由緒施設も台風に備えました。

本町商人通りにある商家資料館の正面玄関は、広いガラス戸になっています。

そこで全面をベニヤ板で固定します。また、大手門前の豫章館は・・・・・・雨戸対策です。

雨戸の表と裏を竹で結束して固定します。

「商家資料館」は午前11時に玄関を固定したので、午後は休館です。「豫章館」は雨戸を固定しましたが、庭園や外部はご見学できます。
雨風が強くなってきました。大型で強い台風18号は、午後から今夜まで最接近し被害が心配されます。このため「旧山本猪平家」と「旧高橋源次郎家」も午後は閉館とします。 後は、明日の後片付けです。被害のないことを祈りたい気持ちです!


本町商人通りにある商家資料館の正面玄関は、広いガラス戸になっています。


そこで全面をベニヤ板で固定します。また、大手門前の豫章館は・・・・・・雨戸対策です。


雨戸の表と裏を竹で結束して固定します。


「商家資料館」は午前11時に玄関を固定したので、午後は休館です。「豫章館」は雨戸を固定しましたが、庭園や外部はご見学できます。
雨風が強くなってきました。大型で強い台風18号は、午後から今夜まで最接近し被害が心配されます。このため「旧山本猪平家」と「旧高橋源次郎家」も午後は閉館とします。 後は、明日の後片付けです。被害のないことを祈りたい気持ちです!
市内の水田で見かけた蓮の花。

午前9時頃に見かけた時は、水田一面に鮮やかなピンク色に咲き誇っていましたが、午後4時頃は・・・・・・

花びらは、すべて閉じていました。
蓮は、スイレン科の多年生水草です。 古来中国から渡来し、根茎は泥中をはい、秋には末端が肥厚し蓮根として食用になります。

近くで見かけた方に聞いたところ、ここの蓮は蓮根を採るためでなく、花卉として栽培されているらしい。 仏教では、泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が仏の智慧や慈悲の象徴とされ、極楽浄土の花とされています。 その証拠に如来像の台座は蓮華座で、仏前に「常花」(じょうか)と呼ばれる金色の木製の蓮華が置かれています。
ちなみに、結果はどうであれ行動や運命を共にすることを「一蓮托生」といいますが、この語源は死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想から由来しているそうです。
それにしても、こちらでは余り見かけない蓮の花です。


午前9時頃に見かけた時は、水田一面に鮮やかなピンク色に咲き誇っていましたが、午後4時頃は・・・・・・


花びらは、すべて閉じていました。
蓮は、スイレン科の多年生水草です。 古来中国から渡来し、根茎は泥中をはい、秋には末端が肥厚し蓮根として食用になります。

近くで見かけた方に聞いたところ、ここの蓮は蓮根を採るためでなく、花卉として栽培されているらしい。 仏教では、泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が仏の智慧や慈悲の象徴とされ、極楽浄土の花とされています。 その証拠に如来像の台座は蓮華座で、仏前に「常花」(じょうか)と呼ばれる金色の木製の蓮華が置かれています。
ちなみに、結果はどうであれ行動や運命を共にすることを「一蓮托生」といいますが、この語源は死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想から由来しているそうです。
それにしても、こちらでは余り見かけない蓮の花です。
「南国日南ツーリズムネット(にちなんツーリズムネット)」が設立されました。

会長にドライブイン大海の谷川さん、副会長は南イチゴ園の南さん、会計がマタウ・マリンサービスの谷口さんに決まりました。これからの日南体験型観光を担う若いフレッシュな役員です。﨑田市長も駆けつけ「会の活動に市もバックアップする」とのあいさつをいただき力強い限りです。

この会の主な目的は、日南の地域資源を生かした体験型観光・ツーリズム活動を推進です。
この会の立ち上げには、グリンツーリズムコーディネーターの室之園さんが以前から尽力してきました。彼の熱意が実を結んだといっても過言ではありません。
会員には、商工会議所の黒田局長や「やっちみろかい酒谷」の日高さんをはじめこれまで日南市のまちづくりや体験型観光に携わってきた頼りになる面々のほか、これから新たに自然・文化体験や農家民泊などに取り組む若い皆さんなど熱意のある方が参加しています。
県南のグリンツーリズム活動の取り組みは、県内でも遅れています。
この活動に協力・連携する個人やグループなど、今後も会員を増やし、一層の充実と発展を図ることになりました。
私たち「飫肥城下町保存会」も共に連携して、日南らしい魅力あるグリーンツーリズム活動の発展と県南ネットワークの推進に取り組みたいと考えます。


会長にドライブイン大海の谷川さん、副会長は南イチゴ園の南さん、会計がマタウ・マリンサービスの谷口さんに決まりました。これからの日南体験型観光を担う若いフレッシュな役員です。﨑田市長も駆けつけ「会の活動に市もバックアップする」とのあいさつをいただき力強い限りです。

この会の主な目的は、日南の地域資源を生かした体験型観光・ツーリズム活動を推進です。
この会の立ち上げには、グリンツーリズムコーディネーターの室之園さんが以前から尽力してきました。彼の熱意が実を結んだといっても過言ではありません。
会員には、商工会議所の黒田局長や「やっちみろかい酒谷」の日高さんをはじめこれまで日南市のまちづくりや体験型観光に携わってきた頼りになる面々のほか、これから新たに自然・文化体験や農家民泊などに取り組む若い皆さんなど熱意のある方が参加しています。
県南のグリンツーリズム活動の取り組みは、県内でも遅れています。
この活動に協力・連携する個人やグループなど、今後も会員を増やし、一層の充実と発展を図ることになりました。
私たち「飫肥城下町保存会」も共に連携して、日南らしい魅力あるグリーンツーリズム活動の発展と県南ネットワークの推進に取り組みたいと考えます。