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熊本城の清正公がやって来た!
 加藤清正公が、飫肥城下町の大手門通りからバスに乗り、飫肥城にやって来ました。
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 と言っても、某観光バスの車体に描かれた熊本城と清正公です。
 承知の通り清正公は、永禄5年(1562年)6月24日に尾張国生まれで、幼名を夜叉丸(やしゃまる)といい、9歳のころから豊臣秀吉に仕え、元服してから加藤虎之助清正と名乗りました。
 賤ヶ岳の戦いでは「七本槍」の1人に数えられ、その後も数々の武功を立てます。
 天正16年(1588年)清正は侍大将から、いきなり肥後19万5000石の領主に任命されます。
 現在の熊本城は慶長6年(1601年)から慶長12年(1607年)にかけて、清正公が築いたお城です。
 その後、清正公は治山治水・新田開発などに力を入れ、積極的に領地経営を進め、国はどんどん豊かになり、熊本では今でも神様のように慕われています。
 その清正公は、慶長16年(1611年)6月24日に49歳で亡くなっていますが、この日は奇しくも誕生日と同じです。
 その後、清正の子・忠広の改易により細川忠利が肥後54万石の領主となります。
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 ところで、その細川家の家紋は当時の飫肥藩伊東家と同じ九曜紋でした。そこで違いを明らかにするため、石高の低い伊東家は、やむなく星の数を1つ増やして現在の家紋になったといわれます。
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