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新たな史実!
 飫肥藩の藩校だった「振徳堂」で、終戦直前まで特殊軍事訓練の宿泊施設であったことが明らかになり、その体験者の講演と記念碑の除幕式を行いました。
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 講演に先立ち挨拶された市文化学習課長によると、「このようなことが日南市の歴史の記録にはなかったので新たな歴史的な史実になった」とのこと。 
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 体験者は現在東京都に在住の「八児勇三郎(やちごゆうさぶろう)」さんです。
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 講演の内容は、太平洋戦で日本の戦況が悪化する中、昭和20年1月19日から5月24日まで、九州各県の部隊から60名が選抜され、秘密裏に特殊訓練を受けたとのこと。訓練はほとんどが夜間に行われ昼の間は、振徳堂で休んでいたとのこと。
 この特殊訓練を受けた部隊は、「霧島部隊」と呼ばれましたが、組織的には陸軍中野学校の分校であったようです。
 訓練を終えた後、再び各県の部隊に配属され8月15日終戦となり、その後約34~35年もの間はこの訓練のことは公に出来なかったとのこと。
 そして、GHQによる戦犯者などの捜査もなくなった昭和57年になって、漸く当時の部隊仲間が日南市に集まり再会したそうです。
 当時の部隊仲間は、ほとんど亡くなり現在元気で生存しているのは八児氏が1人だそうです。
 そして以前お見えになった時、「振徳堂に歴史の証としての碑を設置して欲しい。これが生きのこった者としての願いです」との相談を受けていました。
 そこで、市担当課から振徳堂敷地に記念石碑設置の許可を受け、八児さんの講演に合わせて設置したところです。
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 講演の後振徳堂に移動して除幕式を執り行った後、関係者で記念撮影です。当時のことをよく覚えていて現在も八児さんと交流のある地元飫肥在住の福富氏や記念石碑を設置していただいた落合石材店の社長さんなどもご一緒です。
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 八児さんは、この記念碑の設置に対し大変感激され、何度も感謝の意を表していただきました。
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 八児さんの話によると、特殊訓練では都井岬や鵜戸神宮まで完全武装で歩いて行ったそうです。しかも夜間に一般道でない山道で行われていたため、睡魔に襲われ危険なこともあったようです。
 振徳堂での生活水は、敷地内にある井戸水を利用されていたそうですが、水質もよく大変きれいでこの水のお陰で、誰一人病気になる者はいなかったとのこと。
 ただ病気と言えば、八児さんが首の後ろにオデキができた時、薬も医務室もなかったので、近所の家に駆け込んで百合の根っこを擦ったものを貼付けてもらったところ、2~3日で治ったそうです。
 その事があって、その娘さんのご主人である福富さんとは、現在も交流をされているとのこと。また部隊が解散する時は、敷地内に櫓を建てそこで住民の皆さんとの演芸交流などもされたそうです。
 八児さんは、今年10月で満89歳になられるそうです。振徳堂で特殊訓練を受けた部隊の仲間は、殆んどが亡くなり、唯一元気な八児さんは、現在も昭和歌謡史研究家としてご活躍されています。
 「飫肥の町や地元の皆さんは、昔も今も親しみがあり大変良いところだ。元気でいる限り飫肥のことをPRしたい」とのことでした。

 
 
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