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飫肥城の支え石の秘密!
 飫肥城には、いたるところに塀がありそれを支える「支え石」(「控え石」ともいう)が、塀の後ろに必ず平行に並んで建っています。これは全国でも飫肥城にだけみられる建築方法だそうです。
IMG_3025.jpg
 
 一方他の城、例えば伊予松山城の場合、塀を支える方法は下の写真のようになっています。
良く見ると、石でなく角材が斜めに壁に食い込むように塀を支えています。
IMG_2520.jpg
(上と下の写真は松本城の塀
IMG_2522.jpg

 しかし、飫肥城の塀の支え石は大変重要な役目があります。
 先ず第一の目的は、台風常襲の地である飫肥では台風災害等から守るためより丈夫な塀の補強が必要であった。
 また、飫肥城は伊東軍と島津軍が、戦国時代歴史に残る長い攻防を繰り広げた城です。このため、敵が攻め込んできた場合は、石垣と切り離せないものに「塀」と「狭間」があります。
塀は石垣をよじ登って来る敵を防止し、塀に明けられた狭間から横矢に払う仕組になっていました。  塀の高さは通常外から武装した兵士が見えないようにやや高めにする方が良しとされました。
 狭間は天守・塀などに小さく明けられた開口部をいい、狭間には鉄砲窓(銃眼)と矢窓(箭眼)があり、鉄砲窓は三角形や丸、正方形に明けられ、矢窓は長方形にしたものが多いようです
 戦になり、一気に攻め込まれた場合は、鉄砲窓や矢窓だけでは足りず、塀に並行にある支え石と塀の間の立て板の上に平板を並べ、その板の上に乗って塀の屋根越しに鉄砲と弓矢で敵を迎え撃ったようです・・・・これが第二の目的ですが、このことが実に大事な目的だったようです。
IMG_3024.jpg
(上下の写真は飫肥城の塀
IMG_3022.jpg

 こうしてみると飫肥城の塀を支える方法が、地元でとれる石(飫肥石)や腐りにくい飫肥杉で外周を備えた独自の建築方法であり、改めて先人の技術と知恵に感銘を受けました。
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コメント
この記事へのコメント
勉強になりました。
地元(飫肥というか吉野方)に生まれ育ちましたが、初めて知りました。
とっても勉強になりました。
子供の頃から歴史が好きで、天地人も毎週楽しみに見てますが、大人になって、地元の歴史をもっと知りたいなと思うところです。
楽しんで頑張りたいです。

また、今だけは東京に住んでるので、たくさんの写真を見させていただいて、日南が恋しくなります。
2009/08/01(土) 16:05 | URL | 恭平 #-[編集]
Re: 勉強になりました。
>恭平 さん

 コメントありがとうございます!

 私も飫肥城の館長になって一年過ぎましたが、まだまだ知らないことがいっぱいです。

 飫肥城下町は大変素晴らしい町です。これからも身近な出来事をはじめ、いろんな情報を発信したいと思いますので時々ご訪問してください。 また「ようこそ飫肥城へ」もご覧下さい!

 今、4月29日から始まった『飫肥城下町「食べあるき・町あるき」』も好評ですよ。

   ※東京のお友達の皆さんにも飫肥の観光PRをお願いします。
 
 
2009/08/02(日) 14:15 | URL | obihozonkai #-[編集]
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