FC2ブログ
飫肥藩と黒田官兵衛
 第4回おび学が、開催されました。
IMG_5485.jpg
 NHK大河ドラマで、今人気の軍師官兵衛と飫肥藩の意外な関係についての話です。興味のある話で、これまでで最も多い約50人が受講しました。
IMG_5480.jpg
 講師は、当保存会の長友学芸員です。先ず冒頭に、当保存会が作成した当時の旗指物(はたさしもの)の説明。旗指物とは、昔,鎧(よろい)の背中にさして戦場で目印とした小旗のことです。この九曜の紋の旗指物は、飫肥藩の2代藩主祐憲まで使用されていました。しかし、細川家が小倉から熊本54万石に加増移封されてから、違いを明らかにするため星の数を増やし十曜の紋にしたといわれます。
IMG_5550_20140728112719b3d.jpg
 黒田官兵衛と飫肥藩との関わりについては、1582年に祐兵が中国地方で毛利攻めをしている秀吉に仕えましたが、この頃に官兵衛とも接し、信頼を深めたようです。その後山崎合戦や九州征伐では官兵衛のもとで先陣を切り戦功をあげ、飫肥城を領することになります。また、長年戦いを繰り広げてきた島津とも官兵衛のアドバイスで親交を結びます。
IMG_5551.jpg
 関ヶ原の戦いでも如水(官兵衛)のアドバイスで、徳川方につき、石田方と戦いましたが、伊東は思ったような恩賞を受けられず、領土拡大から飫肥藩の立て直しのため殖産興業に方針転換します。その後は徳川幕府のもとで、明治までの280年14代に渡り続くことになります。
 いずれにしても、伊東家が木崎原の戦いで島津に敗れ、崩壊した状態から再生したのは、敗残の身から秀吉に仕え官兵衛と親交することになったことです。このことが、伊東家の再起に繋がり飫肥藩主として明治まで安泰することになったといっても過言でないと思います。
スポンサーサイト



コメント
この記事へのコメント
URL :
コメント :
パスワード :
管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
Template designed by アクセラと+αな生活(ホノミ)

Powered by .