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飫肥伊東家の軍旗(幟)
 飫肥藩主伊東家の家紋で、二代藩主まで使用されていた「九曜紋」の軍旗(幟)を、このほど復元しました。
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 この軍旗は、飫肥城歴史資料館やきよたけ歴史資料館に収蔵されている文献などを参考に、当保存会「長友学芸員」の努力によって再現されたものです。
 物の本によると、幟は平安時代は長い布の短辺に木を通して紐で吊り上げて風になびかせる、丈の高い流れ旗を軍団の象徴として軍容を誇示するため掲げていました。
 しかし、室町時代になると武家の一族間での争いが増加し、同じ流れ旗と同じ家紋を用いる敵味方の判断に混乱を生じるようになりました。このため、布地の長辺の一方と上辺のあわせてふたつの辺を旗竿に結びつけることで流れ旗との識別を容易にした幟が発案され、全国の武家へと徐々に広まっていったとされます。
 IMG_8325_201410101247453f0.jpg  飫肥城デザイン[1] (2)
 伊東家の九曜紋は、先祖工藤祐経の正妻の父方千葉氏家紋の使用を、源頼朝から許されたことに始まるとされます。千葉氏は、関東の名族で妙見信仰由来する家紋だそうです。ところが、江戸時代初期に熊本城主となった細川氏家紋が、同じ九曜紋でした。そこで戦場での混乱を避けるため小藩であった飫肥藩は、細川氏に遠慮して三代藩主から星の数を一つ増やしたとのこと。紋は十曜紋となりましたが、呼称は以前のよう「九曜紋」と称するのにこだわったと思われます。
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