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長崎と小村寿太郎侯
 長崎市で開催された九州博物館協議会に長友学芸員と一緒に出席しました。
 その長崎で、小村寿太郎と縁のある場所を尋ねてみました。
 明治二年、飫肥藩校「振徳堂」を卒業した小村寿太郎が、英語を学ぶため恩師小倉処平につれられ学友四人とともに、五月六日に長崎に向け出発します。
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 牛の峠を超え鹿児島から船で長崎茂木の港に向かったようです。飫肥を発ってから十五日を要し、長崎に到着したそうです。
 目指したのは、小倉処平と親交のあった大隈重信などが学んでいた佐賀藩の英語学校「致遠館」です。
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 五島町の「致遠館」のあった場所は、現在駐車場となっていて、その角の石碑に「致遠館跡」と記されていました。
 そして次に、小倉処平と親交のあった佐賀藩の人と飲みに行っていたという「玉川亭」を探しました。未だ十三歳の寿太郎は、処平に一度だけ宴会に連れて行ってもらったことがあるそうです。まだ酒も飲めなかった寿太郎は、余興の相撲で芸者を思い切り投げ飛ばし、その後は連れて行ってもらえなかったとのエピソードがあります。
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 その場所は、眼鏡橋の少し上流にあり、その敷地には現在幼稚園が建てられていました。
 更にその中島川を下ったところには長崎県庁があります。
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 ここは長崎奉行所西役所のあったところで、幕府は幕末に開国すると、この場所に「長崎海軍伝習所」を設けました。
 そこから下ったところが出島です。
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 寿太郎が小倉処平に連れられて長崎にやって来た時は、出島の周りはまだ海でした。その後、周辺が埋め立てられはじめ、次に寿太郎が訪れる明治四十二年には、かなり地形が変わっていたようです。

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