東京や神奈川などの『小村寿太郎侯』の所縁の地を訪ねました。

相模湾上空では、寿太郎侯も眺めた富士山が出迎えです。
先ずは、『寿太郎侯』がなくなるまで過ごした、葉山の終焉の地に向かいます。
品川駅からJRで逗子駅で下車します。

そこからバスで葉山に向かいます。

葉山にある県立近代美術館から山手を眺めた付近が、どうも目的の『寿太郎侯』終焉の場所のようですが、地元の方に聞いても場所が中々確定できませんでした。

しかし、事前に地元MPOの方に頂いていたマップを基に、ようやく石碑を見つけることができました。それは、松の庭木の後方にひっそりと建っていました。

晩年を過ごした家は、この石碑のある家でなく、さらに奥に20mくらい入ったところのようです。

大きな蘇鉄が植えてある家が、左手奥の方にありましたが、恐らくここが目的の場所だと思われます。

ここの場所には、3軒ほどの家屋がありましたが、どの家も住んでいる形跡が無く、空き家になっているものと思われます。

家屋は当時のものでないようです。 『寿太郎侯』が眺め、病を癒した灯篭や庭の跡が残っているようです。庭にはツワブキなどもあちこち育っていて、日南地方で見かけられるような庭の感じがしました。

何となく寂しい想いをしながら、次に『寿太郎侯』が散歩したと思われる葉山の一色海岸に行ってみました。

海岸からは、相模湾の向うに雪を被った富士山がうっすらと見えました。

さらに海岸に降りて行来ました。葉山御用邸の外にあるこの辺りが、皇族の皆さんが散歩される海岸だそうです。


当時は政財界や皇族の超高級別荘地のあった葉山周辺は、葉山を散策して見ると、今は空き家と高齢者が目につき、当時の面影は無くなりつつあるように見えました。
来2011年11月26日は、『小村寿太郎候』没100年です。
故郷飫肥から遠く離れたこの地で『寿太郎侯』はどんな気持ちで、晩年を過ごしたのか思いを馳せました。
次は、『寿太郎侯』が眠っている青山墓地です。

相模湾上空では、寿太郎侯も眺めた富士山が出迎えです。
先ずは、『寿太郎侯』がなくなるまで過ごした、葉山の終焉の地に向かいます。
品川駅からJRで逗子駅で下車します。

そこからバスで葉山に向かいます。


葉山にある県立近代美術館から山手を眺めた付近が、どうも目的の『寿太郎侯』終焉の場所のようですが、地元の方に聞いても場所が中々確定できませんでした。

しかし、事前に地元MPOの方に頂いていたマップを基に、ようやく石碑を見つけることができました。それは、松の庭木の後方にひっそりと建っていました。

晩年を過ごした家は、この石碑のある家でなく、さらに奥に20mくらい入ったところのようです。


大きな蘇鉄が植えてある家が、左手奥の方にありましたが、恐らくここが目的の場所だと思われます。

ここの場所には、3軒ほどの家屋がありましたが、どの家も住んでいる形跡が無く、空き家になっているものと思われます。

家屋は当時のものでないようです。 『寿太郎侯』が眺め、病を癒した灯篭や庭の跡が残っているようです。庭にはツワブキなどもあちこち育っていて、日南地方で見かけられるような庭の感じがしました。


何となく寂しい想いをしながら、次に『寿太郎侯』が散歩したと思われる葉山の一色海岸に行ってみました。

海岸からは、相模湾の向うに雪を被った富士山がうっすらと見えました。

さらに海岸に降りて行来ました。葉山御用邸の外にあるこの辺りが、皇族の皆さんが散歩される海岸だそうです。


当時は政財界や皇族の超高級別荘地のあった葉山周辺は、葉山を散策して見ると、今は空き家と高齢者が目につき、当時の面影は無くなりつつあるように見えました。
来2011年11月26日は、『小村寿太郎候』没100年です。
故郷飫肥から遠く離れたこの地で『寿太郎侯』はどんな気持ちで、晩年を過ごしたのか思いを馳せました。
次は、『寿太郎侯』が眠っている青山墓地です。
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この記事へのコメント
葉山の杉野と申します。小村寿太郎終焉の地は角田庄衛さん(現在も在住)の敷地内にあります。この石碑はかつて飫肥の方が小村寿太郎の終焉の地を探され、その資金で建てられたとのことです。角田さんの意向により自然石になったとのことです。この石碑は飫肥の方角を向いています。この近くには、団琢磨、金子堅太郎、平岡浩太郎(玄洋社初代社長)桂太郎などの別荘がありました。
葉山の杉野仁 様
小村侯の終焉の場所は角田宅の敷地内で、その石碑は飫肥の方角を向けて建てられているとのこと、コメント有難うございます。
小村寿太郎侯は、私たちの飫肥が輩出した偉人です。今年11月26日が没100周年です。
今年は、様々なイベントが企画されていますが、葉山を訪れる機会があるかも知れません。
その時は、葉山の地を散策してみたいと思います。
小村侯の終焉の場所は角田宅の敷地内で、その石碑は飫肥の方角を向けて建てられているとのこと、コメント有難うございます。
小村寿太郎侯は、私たちの飫肥が輩出した偉人です。今年11月26日が没100周年です。
今年は、様々なイベントが企画されていますが、葉山を訪れる機会があるかも知れません。
その時は、葉山の地を散策してみたいと思います。
日南の関係者、在京の小村寿太郎奉賛会メンバーで終焉の地に伺う予定をしております。その時だけご近所の方々に少々ご迷惑をおかけするかも知れませんがよろしくお願い申し上げます。当日は青山墓地でもお墓参りしています。
2011/06/15(水) 09:00 | URL | 小村寿太郎奉賛会メンバー(47歳) #-[編集]
小村寿太郎奉賛会メンバー 様
コメント有り難うございます。
11月26日は、葉山の終焉の地や青山墓地の墓参をされるとのことですが、私どもも日程が許せば参加したいものです。
なお頂いたコメント内容については、葉山在住の杉野 仁 様にも送付いたしました。
また飫肥地区の自治会では、現在小村侯を讃え敬う「寿太郎侯音頭」の企画も進められています。
早ければ、今年8月14日の「寿太郎まつり」には、お披露目できるようです。
コメント有り難うございます。
11月26日は、葉山の終焉の地や青山墓地の墓参をされるとのことですが、私どもも日程が許せば参加したいものです。
なお頂いたコメント内容については、葉山在住の杉野 仁 様にも送付いたしました。
また飫肥地区の自治会では、現在小村侯を讃え敬う「寿太郎侯音頭」の企画も進められています。
早ければ、今年8月14日の「寿太郎まつり」には、お披露目できるようです。
2011/06/15(水) 14:37 | URL | 飫肥城 館長 #-[編集]
葉山の終焉の地に日南の一行がお邪魔させて戴く日にちは11月11日となっていました。誤りをお詫びさせて頂くとともに、当日は(たぶんお昼頃)周辺を少しお騒がせします事をお許し下さい。(私は伺いませんが)
2011/10/07(金) 14:53 | URL | 小村寿太郎奉賛会 会員 #-[編集]
小村寿太郎奉賛会 会員 様
11月11日に小村侯終焉の地を訪ねられるとのこと、私は参加することは叶いませんが、参加される皆様方にはよろしくお願いいたします。
11月11日に小村侯終焉の地を訪ねられるとのこと、私は参加することは叶いませんが、参加される皆様方にはよろしくお願いいたします。