飫肥の由緒施設の『豫章館』壁が剥げているのが見つかりました。

『豫章館』は明治2年、14代藩主が飫肥藩知事に任ぜられて城内から移り住んだ屋敷です。

飫肥の典型的な武屋敷、その床の間の壁が落ちていたのです。

良く見ると、その反対側の壁も膨らんでいて今にも落ちそうです。

専門家に見てもらうと、原因は屋根の瓦のようです。

屋根を調査してもらうと、瓦が割れたり漆喰が外れたりしていて、そこから雨が浸み込み壁に影響を与えているとのことでした。下から見ても軒の木などが水腐れを起こしているようです。

このままにしていたら、この貴重な建物が朽ち果てるのが目に見えています。

早速、左官業者にお願いして壁の修理と屋根の補修をしていただくようお願いしました。
せめて床の間の壁だけでもゴールデンウィーク前に修理することにしましたが、『豫章館』だけでなく、今飫肥城の多くの建物が傷んでいます。
抜本的な対策が必要で、早急な対応を市に求めていますが、動きが鈍くてとても残念です。

『豫章館』は明治2年、14代藩主が飫肥藩知事に任ぜられて城内から移り住んだ屋敷です。

飫肥の典型的な武屋敷、その床の間の壁が落ちていたのです。


良く見ると、その反対側の壁も膨らんでいて今にも落ちそうです。

専門家に見てもらうと、原因は屋根の瓦のようです。

屋根を調査してもらうと、瓦が割れたり漆喰が外れたりしていて、そこから雨が浸み込み壁に影響を与えているとのことでした。下から見ても軒の木などが水腐れを起こしているようです。


このままにしていたら、この貴重な建物が朽ち果てるのが目に見えています。

早速、左官業者にお願いして壁の修理と屋根の補修をしていただくようお願いしました。
せめて床の間の壁だけでもゴールデンウィーク前に修理することにしましたが、『豫章館』だけでなく、今飫肥城の多くの建物が傷んでいます。
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