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小村寿太郎侯没後100周年
 来年11月26日は、我が郷土の偉人『小村寿太郎侯』が亡くなって100周年の節目の年になります。
 そこで、9月8日に『小村寿太郎侯没100周年記念事業検討委員会』が発足しましたが、会に先立ち委員の辞令交付が行われました。
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 『小村寿太郎侯』は、1855年に飫肥藩士の子に生まれ、7歳で 藩校『振徳堂』に入学しました。成績優秀で小倉処平の目にとまり長崎に留学し、その後15歳で飫肥藩の貢進生として大学南校に入学しました。17歳で明治天皇を前に講演を行ったことからして、どれだけ優れた学力を有していたかが窺い知れます。 その後東京大学の一期生として卒業し、第一回文部省留学生としてハーバード大学で法律を学びました。
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 明治34年(1901年)、第1次桂内閣の外務大臣に就任し、明治35年(1902年)、日英同盟を積極的に主張して締結に持ち込み、日露戦争後の明治38年(1905年)、ポーツマス会議日本全権としてロシア側の全権ウィッテと交渉し、ポーツマス条約を調印しました。

 しかし、日露戦争講和締結の時の小村寿太郎侯は、国賊のようにマスコミと大衆から扱われ、日比谷事件が起こります。 
 一方、太平洋戦争への道を開き、国際連盟を脱退してしまった時の松岡洋右は、英雄として扱われました。
 ところが、歴史的な評価はマスコミ、大衆のその時点の評価と反対に、後世の評価は逆転しました。

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 1911年56歳の時に勲功により爵位(侯爵)を授けられ、桂内閣総辞職に伴い外務大臣を8月30日に退任。わずか3ヶ月後の11月26日に、結核療養のために滞在していた葉山町の別荘にて亡くなります。
 日南市では、1985年に日露講和条約80周年を記念し、ポーツマス市と姉妹都市を結びました。
 ところで、日露戦争を終結させた1905年のポーツマス条約が調印された9月5日を記念して、ニューハンプシャー州では先月、9月5日を州の記念日にする条例が成立しました。同市近郊にあるメーン州のポーツマス海軍工廠で条約が調印された午後3時47分になると、市内の教会から鐘が一斉に鳴り響き、当時を再現したそうです。そしてこの日はポーツマス以外の地域でも鐘が鳴らされなど、条約ゆかりの地であるポーツマス市を中心に同日、市民参加の多彩な行事が催されたそうです。
 先月ニューハンプシャー州ポ―ツマスの高校生の皆さんが、飫肥城の小村記念館の見学に来られました。
 
 来年の小村寿太郎侯没100周年記念事業を考えるに、小村侯の偉大な功績を私たちが改めて思い起こし、将来に繋がって行く事業を提案したいと考えます。


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